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甲立古墳2023年06月11日 11:56

甲立古墳(こうたちこふん)は広島県安芸高田市にある古墳時代の前方後円墳である。現在は失われている。

概要

広島県安芸高田市東部の江の川(可愛川)とそれにつながるいくつかの河川の合流地点の菊山山腹にある。墳長77.5mの前方後円墳で,葺石が墳丘斜面のほぼ全面に施されている。後円部平坦面で墓坑1基を検出し,電気探査によると竪穴式石室や礫槨などの埋葬施設があると推定されている。 墳丘から円筒埴輪と器財形埴輪が出土した。後円部平坦面には墳丘に沿って円筒埴輪等が樹立し,その内側には5個体の家形埴輪が一列に配置されていた。後円部での埴輪群により当時の葬送儀礼を知ることができる。築造当時に並べられた埴輪の配列を良好な状態で確認できた。埴輪は、切妻造高床建物の1・2号家形、特異な形の囲形状である。 被葬者は当時の大和政権と密接な関係があった。古墳祭祀、埴輪祭祀を研究する上で極めて重要な調査例である。

調査

2008年(平成20年)1月に甲田町上甲立菊山の山林で新たに発見された広島県内最大の前方後円墳である。2008年(平成20年)、踏査により古墳として認知された。2010年(平成22年)から2013年(25年度)まで実施した発掘調査では、傾斜地上に築かれた墳丘、隙間なく葺かれた精緻な葺石、実際より大きく見せるための大規模造成など、高度な技術により墳丘が築造されたことが判明した。前方部2段、後円部3段の築成と判明した。5基の家形埴輪が当時の配列で出土した。出土例が極端に少ない子持家形などの家形埴輪があり、埴輪は端正な作りで、埴輪を製作した工人の技術の高さがうかがえる。畿内の中枢で出土した埴輪と近似する。山間部に築かれた4世紀後半の畿内色の強い前方後円墳は実例が少ない。 2018-2019年度(平成30-令和元年度)に発掘調査(安芸高田市教育委員会)が行われた。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長77.5m
  • 後円部 直径:56.2メートル[1](または54.6メートル[2]) 高さ:7-8メートル径17m 高4m
  • 前方部 幅11m 長11m 高1m

外表施設

  • 円筒埴輪 - 普通円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪、楕円筒埴輪
  • 形象埴輪 - 蓋形埴輪、甲冑形埴輪、
  • 器材埴輪
  • 家形埴輪 – ほぼ完形に復元された、2間×2間の高床建物
  • 葺石 あり
  • 築成:3段

遺構

後円部の中心に7.5m、幅2.8mの墓壙を発見した。

遺物

築造時期

  • 埴輪の特徴から古墳時代前期末,4世紀末に築造

指定

  • 平成28年3月に国史跡に指定

アクセス等

  • 名称:甲立古墳
  • 所在地:〒739-1104 広島県安芸高田市甲田町上甲立
  • 交通:芸備線 甲立駅から1.6km、徒歩20分。

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
  2. 文化庁(2017)『発掘された日本列島 2017』共同通信社

白瑠璃碗2023年06月11日 17:59

白瑠璃碗(はくるりのわん,Glass Bowl)は奈良県奈良市の正倉院に伝わるカットガラスの碗である。出陳回数が多く、人気の宝物である。

概要

透明でごく薄い褐色味のついたカットグラスの碗である。土に埋もれたことがないので、ガラスが鮮明である。

構成

外形に円形切子を連続して刻んだカットグラスである。凹レンズ状に刻まれた切子に対面する切子模様が写り込む視覚効果が美しい。上下互い違いに凹レンが配列され、ハチの巣のように見える。底部中央に大き目の切子を配する。円形切子の数は全部で80ある。イラン高原北西部のギラン州より類例が多く出土する。ササン朝ペルシャで5世紀から6世紀に作られたと考えられる。シルクロードを経由して日本に渡来した。

類例

  • ガラス製碗 - 大阪府羽曳野市の高屋築山古墳出土(参考文献1)。
  • カットガラス碗 - サントリー美術館

組成

ササン朝ペルシアで作られたガラスをササンガラスという。古代オリエントで作られたガラスの化学組成に近くマグネシウム、カリウムを多く含んでいる。ササンガラスはソーダ石灰ガラスである。

展示歴

  1. 1940年 - 皇紀2600年記念正倉院御物特別展
  2. 1946年 - 第1回
  3. 1959年 - 正倉院宝物展(東京国立博物館
  4. 1964年 - 第17回
  5. 1975年 - 第28回
  6. 1981年 - 特別展『正倉院宝物』(東京国立博物館)
  7. 1990年 - 第42回
  8. 1995年 - 第47回
  9. 2008年 - 第60回
  10. 2019年 - 正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―(東京国立博物館)

管理

  • 登録名:白瑠璃碗
  • 倉番 : 中倉 68
  • 用途 : 飲食具
  • 技法 : ガラス
  • 寸法 : 口径12.0 高8.5 重485
  • 材質・技法 :アルカリ石灰ガラス(無色) 切子装飾
  1. 参考文献
  2. 円形切子ガラス碗天理大学付属天理参考館
  3. カットガラス碗サントリー美術館
  4. 由水常雄(1994) 『正倉院ガラスは何を語るか』中央公論新社
  5. 奈良国立博物館(2008)「正倉院展六十回のあゆみ」奈良国立博物館

螺鈿箱2023年06月11日 18:51

螺鈿箱(らでんのはこ)は、正倉院に保存されている紺玉帯を保管していた箱である。螺鈿玉帯箱とも言われる。

概要

黒の漆塗りで、蓋表、側面には、螺鈿や半球状の水晶などを用いて、草花文をあらわす。 蓋の中央に金平脱で六花弁を華やかに飾る。箱の内面は繧繝錦の内貼り(嚫)を作る。 円形の印籠蓋造り。内外に黒漆を塗る。夜光貝とみられる螺鈿には毛彫を施す。 金平脱の外側に伏彩色した水晶を玉荘した八枝の花卉文を配置する。貝は厚さ1mmの夜光貝で貝殻の外側を表にして使用する。

管理

  • 名称:螺鈿箱
  • 倉番:中倉 88
  • 用途:収納具
  • 技法:漆工
  • 寸法:径25.8 高8.4
  • 材質・技法 :檜様針葉樹 布着 黒漆塗 螺鈿 金平脱 水晶(伏彩色) 内張りは表繧繝錦 裏浅緑地纐纈絁 紙芯 縁芯は竹

出展歴

  • 名称:螺鈿箱
  1. 1947年 - 第2回
  2. 1949年 - 東京国立博物館、御物特別展。
  3. 1960年 - 第13回
  4. 1966年 - 第19回
  5. 1981年 - 特別展『正倉院宝物』(東京国立博物館)
  6. 1988年 - 第40回
  7. 1999年 - 第51回
  8. 2009年 - 『皇室の名宝―日本美の華』二期
  9. 2019年 - 第71回

参考文献

  1. 奈良国立博物館(2008)『正倉院展60回の歩み』奈良国立博物館
  2. 北村昭斎(2008)「正倉院宝物の螺鈿技法に関する知見について」正倉院紀要, 第30号

黄熟香2023年06月11日 18:52

黄熟香(おうじゅくこう)は正倉院に収蔵されている巨大な香木である。通称は、蘭奢待である。

概要

雅名である「蘭奢待」には、「東」「大」「寺」の三文字が隠れている。名香として珍重され、足利義政や織田信長、明治天皇などが切り取らせた。

展示歴

  1. 1947年 - 第2回
  2. 1982年 - 第34回
  3. 1997年 - 第49回
  4. 2011年 - 第63回
  5. 2019年 - 正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―(東京国立博物館)

管理

名称 :黄熟香 倉番 :中倉 135 用途 :薬物 技法 :木竹工 寸法 :長156.0 重11.6kg 材質:散孔材の香木

参考文献

鳥毛立女屏風2023年06月11日 19:09

鳥毛立女屏風(とりげりゅうじょのびょうぶ,Screen Panel with Woman under Trees)は正倉院に伝わる六扇の屏風である。

概要

鳥毛立女屏風は『国家珍宝帳』に記載されているため、正倉院開設時から保管されていた屏風であると分かる。他の屏風は貸し出されたりして行方不明の者が多いが、鳥毛立女屏風は一度も持ち出されたことはない。そのため1畳6扇がすべて残っている。江戸時代には鴨の毛と考えられており「鴨毛屏風」と呼ばれていた。

構成

墨で描いた人物絵の輪郭に山鳥の羽毛を貼っている。羽毛は殆ど剥落しており、残っていない。羽毛は日本固有の山鳥と日本産の雉の羽とされる。顔や手に施された彩色がかすかに残る。樹木の下に唐風の美人が立っているため、「樹下美人図」とも呼ばれている。盛唐の風俗を反映したふくよかな天平美人が描かれている。彩色箇所以外は下絵の墨線がみえる。

製作場所

第五扇の下貼紙に「天平勝宝四年」の年号の記載があり、行政文書の再利用とみられ、またわずかに残存する羽毛は日本産の山鳥のものであることなどから、日本で製作されたものというのが定説である。

出展歴

1988年以降は1畳6扇をまとめて展示する傾向がある。

第1扇

  1. 1956年
  2. 1979年
  3. 1988年
  4. 1999年
  5. 2014年 - 日本国宝展(東京国立博物館)
  6. 2019年

第2扇

  1. 1956年 -
  2. 1966年
  3. 1988年
  4. 1990年 - 『日本美術名品展』(東京国立博物館)
  5. 1999年 -
  6. 2014年 -
  7. 2019年 -

第3扇

  1. 1949年 - 東博
  2. 1956年 -
  3. 1964年
  4. 1977年
  5. 1988年
  6. 1990年 - 『日本美術名品展』(東京国立博物館)
  7. 1999年 –
  8. 2014年 - 日本国宝展(東京国立博物館)
  9. 2019年 –

第4扇

  1. 1948年 –
  2. 1956年 –
  3. 1959年 - 正倉院宝物展(東京国立博物館)
  4. 1988年
  5. 1990年 - 『日本美術名品展』(東京国立博物館)
  6. 1999年 –
  7. 2014年 - 日本国宝展(東京国立博物館)
  8. 2019年

第5扇

  1. 1956年 –
  2. 1966年 –
  3. 1988年
  4. 1990年 - 『日本美術名品展』(東京国立博物館)
  5. 1999年 –
  6. 2014年 - 日本国宝展(東京国立博物館)
  7. 2019年 –

第6扇

  1. 1956年 –
  2. 1988年
  3. 1999年 –
  4. 2014年
  5. 2019年

管理

第1扇

  • 倉番 : 北倉 44
  • 用途 : 調度
  • 技法 : 紙
  • 寸法 : 長135.9cm,幅56.2cm
  • 材質・技法 :紙本 白色地彩色 ヤマドリ羽毛痕跡 仮表装

第2扇

  • 倉番 : 北倉 44
  • 用途 : 調度
  • 技法 : 紙
  • 寸法 : 長136.2cm,幅56.2cm
  • 材質・技法 :紙本 白色地彩色 ヤマドリ羽毛痕跡 仮表装

第3扇

倉番 : 北倉 44

  • 用途 : 調度
  • 技法 : 紙
  • 寸法 : 長135.8cm, 幅56.0cm
  • 材質・技法 :紙本 白色地彩色 ヤマドリ羽毛痕跡 仮表装

第4扇

倉番 : 北倉 44

  • 用途 : 調度
  • 技法 : 紙
  • 寸法 : 長136.2 幅56.2
  • 材質・技法 :紙本 白色地彩色 ヤマドリ羽毛痕跡 仮表装

第5扇

倉番 : 北倉 44

  • 用途 : 調度
  • 技法 : 紙
  • 寸法 : 長136.2cm,幅56.5cm
  • 材質・技法 :紙本 白色地彩色 ヤマドリ羽毛痕跡 仮表装

第6扇

倉番 : 北倉 44

  • 用途 : 調度
  • 技法 : 紙
  • 寸法 : 長136.1cm,幅56.4cm
  • 材質・技法 :紙本 白色地彩色 ヤマドリ羽毛痕跡 仮表装

正倉院の屏風

『国家珍宝帳』には100畳、596扇の屏風が記載されている。屏風は書屏風、絵屏風、鳥毛屏風、夾纈・臈纈屏風に分類される。書屏風は21畳、鳥毛屏風は3畳、絵屏風は1畳、夾纈は65畳、臈纈は10畳が記載されている(参考文献1)。このうち書屏風には王義之、王陽詢の書や藤原不比等の屏風があるが、持ち出されてすでに失われている。絵屏風は貸し出されて返還されなかったものが多い。鳥毛屏風と夾纈・臈纈屏風は貸し出されなかったため、現存している。

参考文献

  1. 米田雄介「『国家珍宝帳』に見える屏風の成立について」正倉院紀要第35号,pp.117-140

金銅幡2023年06月11日 19:14

金銅幡(こんどうのばん, Ban-type Banners)は、菩薩の威徳を示すための仏具で、法会の際に掲げられる金銅製の旗である。

概要

花唐草や亀甲などで透かし彫りした金銅板4枚を蝶番で縦に四枚連ねた幡である。切り透かして文様を表す。間に鈴や葉形の垂飾を付ける。 幡身は四つの坪に分けられる。各坪は1枚の銅板で鍍金を施す。第1坪は唐草文、第2坪は亀甲文に鈴をつける。第3坪は直線文に花卉、第4坪は球繋ぎの飾りと含綬鳥(授帯を咥える鳥)の構成である。

管理

  • 名称:金銅幡 第1号
  • 倉番:南倉 156
  • 用途:仏具
  • 技法:金工
  • 寸法:長170 身幅15.5
  • 材質・技法 :銅製鍍金 鍛造

出展歴

  • 名称:金銅幡 第1号
  1. 1940年 - 帝室博物館、皇紀2600年記念正倉院御物特別展
  2. 1946年 - 第1回
  3. 1954年 - 第8回
  4. 1978年 - 第31回
  5. 1991年 - 第43回
  6. 1995年 - 第47回
  7. 2022年 - 第74回

参考品

参考文献

  1. 奈良国立博物館(2022)『正倉院展 第74回』仏教美術協会

岸田遺跡2023年06月11日 23:19

岸田遺跡(きしだいせき)は福岡県福岡市にある弥生時代を中心とする大規模な集落遺跡・墓地遺跡である。

概要

早良平野が狭まる最南部に位置し平野が一望できる標高50mの丘陵地にある。東入部遺跡よりさらに約1km上流である。銅剣・銅矛などが大量に出土した遺跡である。弥生時代の集落が、中期後半になると、「クニ」に投稿される頃である。岸田遺跡ではその証拠は見つからないが、有力な集落の一つであるから、手がかりが得られる可能性がある。早良平野から東の福岡平野南部や南の佐賀平野に移動する交通の要衝にある。早良平野は中期初め(紀元前3世紀)に最大の勢力となり、北部九州における「王墓」や「国」の原型を生み出したと考えられてきたが、その後は、抜きんでた勢力とはならなかった。

調査

福岡市教育委員会が区画整理事業に伴い福岡市早良区早良地内において2009年(平成21年)から2010年(平成22年)にかけて実施した岸田遺跡第1次発掘調査で出土した。試掘トレンチの総数は321である。弥生時代の甕棺墓78基、木棺墓、土壙墓8基を発見した。調査したところ、弥生時代中期初頭の甕棺墓4基、木棺墓1基から、銅剣5点、銅矛3点、青銅製把頭飾1点が副葬品として見つかった。青銅武器は通常、1つの遺跡で1点から3点であるが、9点が見つかった。弥生時代の有力な集落であったと考えられる。銅矛には刃部に布目痕跡が付着することから布を巻いて副葬したとわかるものがある。鉄戈のほぞ穴には紐の痕跡が確認でき、また柄の木質が一部付着することから、柄に着装した状態で甕棺内に副葬されたと判断できる。青銅製把頭飾は高さ6.2cmを測り国内最大かつ国内最古であった。 上甕の口径は72cm、器高94cm、底部径13cmであるが、サイズの割に器壁は1cmと非常に薄い作りで技術力が高い。内面外面が黒く塗られている。鉄戈は今のところ福岡市で唯一の発見であり、貴重である。

東アジアとのつながり

把頭飾や他の甕棺墓の銅剣は、朝鮮半島とは異なる鋳造技術や形態のものも含まれており、日本列島に青銅器が流入する早い段階から北部九州での青銅器生産が本格化したことを物語る。朝鮮半島のほか、福岡平野や佐賀平野で作られた青銅器が多い。

遺構

遺物

  • 青銅製把頭飾
  • 青銅器武器 9点
  • 銅矛 3
  • 銅剣 全長31cm、根元の部分を木製の柄に差し込んで使った。
  • 鉄戈 1
  • 勾玉
  • 管玉
  • 小壺 - 埋葬儀式で使われ、甕棺と一緒に埋められた

指定

  • 1953年(昭和28年)11月14日 国の史跡指定

アクセス等

  • 名称:岸田遺跡
  • 所在地:福岡県福岡市早良区早良4丁目地内
  • 交通:

参考文献

  1. 文化庁(2017)『発掘された日本列島 2017』共同通信社
  2. 福岡市教育委員会(2015)『岸田遺跡1』