土偶 ― 2023年08月20日 12:30
土偶 (どぐう)は縄文時代に作られていた土製の人形である。
概要
土偶の登場は縄文時代草創期末葉(約1万年前)である。胸部や臀部だけでなく、下腹部は妊娠しているように大きく、ふくよかさ、柔和さが強調されている。安産、多産、豊穣、再生を願う情勢を表す偶像とされてきた。動物や道具をかたどったものは「土偶」といわず、「土製品」となる。
土偶の分布
縄文時代の後期・晩期には日本全国に分布する。分布の中心は複雑な形状を持つ東日本の土偶である。
時代区分 | トピック | 特徴 | 遺跡等 |
草創期 | 土偶の出現 | 頭部や手足の省略 | 相谷熊原遺跡/相谷土偶/滋賀県蔵 |
早期 | 胴部が中心/千葉と茨城に多い | 胴部中心の造形 | 上野原遺跡/土偶/鹿児島県 |
前期 | 小型が継続 | 東北関東甲信の出土 | 釈迦堂遺跡/板状土偶/山梨県笛吹市 |
中期 | 爆発的に数が増える | 立体化、大型化、デザインが豊富になる | 棚畑遺跡/国宝 縄文のビーナス/長野県茅野市/尖石縄文考古館蔵 |
後期 | 内陸部、千葉、茨城 | 漁業との関連 | 郷原遺跡/ハート形土偶/群馬県東吾妻町 |
晩期 | 東北関東中心 | 衰退から消滅へ | 亀ケ岡遺跡/遮光器土偶/青森県つがる市/東京国立博物館 |
出土例
縄文時代の後期・晩期には日本全国に分布する。分布の中心は複雑な形状を持つ東日本の土偶である。
-遮光器土偶 - 石船戸遺跡 新潟県内で最大
-嘆きの土偶 - 井戸尻遺跡
-国宝「土偶」 - 尖石遺跡
1. 武藤康弘,譽田亜紀子 (2014)『はじめての土偶』世界文化社
2.竹倉史人(2022)『土偶を読む図鑑』小学館
中東遺跡 ― 2023年08月20日 18:34
中東遺跡(なかひがしいせき)は埼玉県三芳町にある旧石器時代の遺跡である。
概要
武蔵野台地の北東部、平坦で現在は河川がない標高40mの個所にある中東遺跡から、黒曜石など石器を製作した痕跡が発見された。遺跡は後期旧石器時代である。面積は51000m2である。平成22年度までに5地点を調査し、うち3地点から3300点を超える石器や礫が出土した。6層・7層の火山灰測定では、形態・色調・屈折率の数値から2.8万年から3万年前の南九州姶良カルデラからの噴出物と判断された。5層下部は1.5万年前から1.65万年前の浅間山の噴出物であった。 発掘調査により、当時の人々は約1万6千年もの長い間、何度もこの地を訪れては石器を作ったり狩りをしていたことが判明した。小川が流れ、狩りの対象である獣たちが集まる場所は、暮らすのに最適な土地であった。
調査
1992年以降考古学的調査と地質地形分析により、過去は河川があったことが判明した。埋没した河川の両岸から3300点を超える石器や礫が出土した。黒曜石製ナイフ形石器、掻器や削器が出土した。槍の先端につけ狩猟具とした。
石器の意義
- (1)中東遺跡では3万年前から1万9千年の間の地層からそれぞれ石器が出土しており、時期による大きさ・形・作り方の変遷がよく分かるものである。
- (2)石器を作る前の原石に近い形まで接合復元できるものが複数発見されており、石器作りの技術がわかる。
- (3)黒曜石原産地分析によれば、87%が伊豆半島天城火山に近い柏峠産の黒曜石であった。ほかは箱根須雲川沿いの畑宿、長野県和田峠のものがあった。旧石器時代人の行動範囲がわかるものである。
遺構
遺物 旧石器
- ナイフ形石器 黒曜石製
- スクレイパー
- 削器
規模
- 南北 30km
- 東西 40km
- 面積 51000m2
指定
アクセス
- 名称:中東遺跡
- 所在地:埼玉県入間郡三芳町上富195-1
- 交通:東武東上線 鶴瀬駅 1時間10分 5km
展示
- 名称:三芳町歴史民俗資料館
- 開館:午前9時から午後4時30分まで(入館は午後4時まで)
- 休館:月曜日・国民の祝日・年末年始
- 入場料:無料
- 所在地:埼玉県入間郡三芳町大字竹間沢877
- 交通:東武東上線みずほ台駅下車徒歩20分
参考文献
- 三芳町教育委員会(2016)「中東遺跡 第6地点・第7地点」
- 文化庁(2012)「発掘された日本列島 2012」朝日新聞出版
桃核 ― 2023年08月20日 20:58
桃核(とうかく)は桃の種子を含む内果皮である。
概要
桃の果実を食べた後にのこる硬い殻を「桃核」と呼ぶ。 岡山県内では22遺跡で13,000個を超える桃核が出土している。 山梨県内で最古の桃核の出土例は南アルプス市の大師東丹保遺跡の桃核である。弥生時代中期の遺構や当時の土層から6点が出土している。このほか大師東丹保遺跡では、弥生時代後期、古墳時代、鎌倉時代の遺構からも発見された。 中村俊夫(2018)によれば、纒向遺跡では桃核が2800個が出土している。モモの実は1年で熟して種を残すため、その年に捨てられた可能性が高い。2800個の中から12個を放射性炭素年代測定を行ったところ、平均182±6yBPの結果を得た。これは暦年代較正すると、西暦135年から230年の間のいずれかに位置する。徳島県埋蔵文化財センターの研究結果とも整合的である。まさに卑弥呼の時代と重なる年代である。
古代の桃
桃は古来、不老長寿をもたらすと考えられており、神や仏に力を授ける果実と考えられていた。古事記ではイザナギ神(伊邪那岐)が黄泉の国から逃げ帰る際、追手に追われ、桃の実を三つ取り、追手に投げつけて追い払ったと書かれる。古代には桃が邪鬼を祓うと考えられていた。
出土例
- 桃核 上東遺跡、出土総数9,608
- 桃核 津島遺跡、出土総数2,415
参考文献
- 中村俊夫(2018)「奈良県纒向遺跡出土のモモの核の高精度AMS14C測定」纏向学研究 第6号、pp.67-73
大師東丹保遺跡 ― 2023年08月20日 21:35
大師東丹保遺跡(だいしひがしたんぼいせき)は山梨県甲西町にある弥生時代から古墳時代、鎌倉時代の複合遺跡である。
概要
甲府盆地南西端の標高二四五メートルの低位に位置する。
調査
甲西バイパス・中部横断自動車道が建設されることになったため、平成五年度/同六年度に県教育委員会により発掘調査が行われた。調査範囲は幅30m・長さ400mに及ぶ。上層の鎌倉時代後半(13世紀後半―14世紀前半)、中層の古墳時代、下層の弥生時代が検出された。遺跡が低地にあることから出水があり、そのため木製品をはじめとした有機物の保存状況が良好であった。第2面が弥生時代であった。水田跡4面、水路2本を確認した。トチ、カヤ、クルミ、モモなどの種が出土した。土器は壺型土器などで弥生後期後半の土器であった。 第3面は弥生時代中期後半である。壺・甕・高坏の土器が出土した。木製品は一部が建築部材とみられる。樹種はヒノキ、クヌギであった。
遺構
- 掘立柱建物
- 水田
- 水路
- 溝状遺構
- 杭
遺物
- 弥生土器
- 木製品
- 動物遺存体
- 植物遺存体
- 埴輪(壺形埴輪)
- 土器(壺+高杯+甕など)
指定
アクセス
- 名称:大師東丹保遺跡
- 所在地:山梨県南アルプス市清水字川原田227-1
- 交通:
参考文献
- 山梨県教育委員会(1997)『大師東丹保遺跡 Ⅱ・Ⅲ区』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第132集
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