Bing

今城塚古墳2023年05月25日 22:50

今城塚古墳(いましろづかこふん, Konda Gobyoyama Tumulus)は淀川流域に所在する古墳時代後期の大形前方後円墳である。

概要

富田台地は高槻市内で唯一の台地であり、東西3km南北3kmの台地となっている。中央部に位置し、西向きの前方後円墳である。同時代において淀川流域で最大級の規模である。墳丘の周囲に二重の濠と堤が廻り、葺石や埴輪を備える。築造年代は6世紀前半とされており、継体大王の亡くなった531年した時期と整合する。 人力で濠を彫り、土を積み上げて墳丘をつくり、遠くから運んだ葺石で表面をおおい、埴輪を並べた「造り山」で、後円部墳丘の中心部には埋葬施設が設けられている。 北川内堤から見つかった埴輪祭祀区は、大王陵での埴輪祭祀の様子をしのばせる。前方部の環濠の一部に水が張られており、現在は釣りは禁止されているが、公園化する前は釣り場として市民に利用されていた。

構成

『大阪府の史蹟と名勝』(参考文献1)には「前方後円墳にして西西北面する。左右の幅約八十間、後円封土の高さ約四十尺に及ぶ。周囲に濠あり。その幅約三十間。濠を巡り幅十数間の中堤あり。更にその外側に幅二十間位の濠あり。すなわち二重の制なり。後円部の頂上と思われるところ少し掘り下げたる痕跡あり。全山すべて松山にして、濠の大部分は埋め立てて田となれり。陪塚数個あり。西方氷室塚の外はすべて破壊され、その原型を失へり。西北の前塚より凝灰岩よりなれる小石棺が出た」と書かれる。1596年の伏見地震による地滑りで、墳丘の盛土の多くが内濠へ滑落したことが判明した。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 186m
  • 後円部 径100m 高11m
  • 前方部 幅141.5m 高12m
  • 外表施設 円筒埴輪 円筒Ⅴ式
  • 形象埴輪 家、馬、挂甲着装武人・人物
  • 【造出】あり(両側、くびれ部前方部寄り)。
  • 【周濠】あり(楯形、2重、全周)。
  • 【周堤】あり(中堤は全周、
    • 外提は前方部前面以外。中堤は北側中央部の一画が幅6mに拡張されている。埴輪群像による祭祀場と推定される。

副葬品

盗掘などの被害により、副葬品や埋葬施設については不明である。3基分の石棺を構成していた石材および金銅製装身具などが発見されている。古墳史上の特徴は、北側(平面図左側)内提張り出し部付近から巨大埴輪祭祀場が検出され、5区に区分けされた65m×6m範囲から多数の埴輪出土があった。家形15、柵形25、蓋形4、太刀型14、盾形1、靱形1、人物18(武人・鷹匠・力士・冠帽男子・坐像男子・巫女)、動物形18(馬形他)、鶏形4、水鳥形13の各埴輪の出土である。 高さ約1.7mの家形埴輪は日本最大である。川本重雄は柵列と門によって四つの区画に分けられていると指摘し、埴輪は継体の皇位継承に至る歴史とその宮殿を表現していると解釈した(参考文献3)。第一区で継体の皇位の正当性を証明し、第二区は豪族時代の館、第三区と四区は大王になってからの館という歴史を埴輪で表現したとする。

  • 須恵器,
  • 土師器,
  • 鉄製品,
  • 木製品,
  • 石棺材

陪冢

数基の陪塚が配される。

築造時期

築造された時期は5世紀初頭とみられる。

被葬者

『延喜式』諸陵寮(参考文献2)によると、継体大王稜は摂津国の三嶋野にあるとされている。宮内庁は(太田茶臼山古墳)を継体稜と治定している。 古墳の被葬者は、埴輪等の出土物の年代的特徴や文献資料の検討などから、第26代継体天皇の墳墓とするのが学界の定説となる。継体大王は后の手白香皇后を通じて大和の王統につながるとされ、入り婿の形で王統の継続性を主張した。そのため継体天皇陵は、その前の応神王朝の墳墓の地である古市(大阪府羽曳野市)・百舌鳥(同堺市)の両古墳群を離れた継体天皇の有縁の地、三嶋野に営まれたと考えられている。

公有化

昭和30年代前半にはほぼ全域が民有地であり、内濠・外濠、周辺一帯に水田が広がり、4か所の池は農業用水の溜池として利用されていた。高槻市は、古墳の保存を図るため、国や大阪府の支援をうけながら約50年間をかけ、ほぼ全域を公有化した。

指定等

  • 1958年(昭和33年)に、日本の歴史を跡づけるかけがえのない貴重な文化財として、国史跡の指定を受けた。それ以前の昭和5年1月25日に仮指定されていた(参考文献1)。
  • 指定面積:約85,210平方メートル

展示等

古墳の北東側に今城塚古代歴史館(高槻市)があり、この古墳の出土物などを展示する。

参考文献

  1. 大阪府編(1932)『大阪府の史蹟と名勝』大阪府
  2. 『延喜式』巻第21 諸陵寮 「三嶋藍野陵 磐余玉穂宮御宇継体天皇。在摂津国嶋上郡三嶋野。兆域東西三町。東西三町。守戸五烟」
  3. 川本重雄(2018)「今城塚古噴出土家形埴輪群について」建築史学 71(0),pp.66-67

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2023/05/25/9589141/tb