山ノ上碑 ― 2023年07月30日 17:18
山ノ上碑(やまのうえのひ)は群馬県高崎市山名町にある完全な形で残っているものとしては日本最古の石碑である。 金井沢碑、多胡碑と併せて、「上野三碑」といわれる。
概要
石をあまり加工しないで使っている点で、新羅の石碑(6世紀)に類似する。碑は高さ111センチの輝石安山岩の自然石である。
大意
放光寺の長利という僧が母のために石碑を建てたことと、長利の母方、父方双方の系譜が書かれる。
碑文
碑文は漢字53字を4行に分けている。文は表面に陰刻される。書体は古い隷書体の特徴がある。
- 辛巳歳集月三日記
- 佐野三家定賜健守命孫黒賣刀自此
- 新川臣兒斯多々彌足尼孫大兒臣娶生兒
- 長利僧母爲記定文也 放光寺僧
釈読
辛巳年(681年)十月三日に記す。 佐野屯倉を定められた健守命の子孫の黒売刀自。これは、新川臣の子の斯多々弥足尼の子孫である大児臣に嫁いで生まれた子である長利僧が母(黒売刀自)の為に記し定めた文である。放光寺の僧。
辛已歳は681年(天武天皇10年)、集月は意味不明だが、集と十は音が通じるため「十月」と言われる。放光寺は東国有数の大寺院であったこと、仏教が当時の先進的な思想であったことから、長利は相当の知識人であったとみられる。前橋市総社町にある山王廃寺から「放光寺」の文字を刻んだ瓦が出土しているため、長利が勤めた放光寺は山王廃寺と推定されている。
アクセス等
- 所在地:〒370-1213 群馬県高崎市山名町山神谷210
- 交通:西山名駅から徒歩で20分
参考文献
- 鬼頭清明(1991)「上野三碑をめぐって」『古代日本金石文の謎』学生社
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