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石戈2024年01月09日 00:15

石戈(せっか)は弥生時代に、銅戈(青銅製の武器)をまねた石製の戈である。

概要

武器形祭器としての銅戈を模倣して倭国で作られた磨製石器である。

来歴

石戈のもとになる祖型は中国の殷代の銅戈である。もともとは実戦用の武器であったが、材料を変更した祭祀的要素が殷代ですでに見られる。矛に玉をはめて装飾性を持たせ、儀式に使用した。その形式が古代朝鮮に伝わったが、朝鮮では独自の形式「細形銅戈」に変化した。しかし細形銅戈をもとにした石戈は朝鮮に見当たらない。弥生時代前期頃に、細形銅戈は倭国に伝わったとされる。 日本の石戈はほとんどが銅戈を模倣しており、直接の祖形は朝鮮半島には見当たらないことから、日本で独自に発達した石器とされている。北九州地方での出土が多く、関西から関東にかけて散在する。石戈のほとんどは西日本に分布する。しかし、寺前直人(2014)は東日本の石戈を再評価すべきと主張する。

用途

石戈は弥生時代中期後半において祭祀具のひとつと考えられている。

2つの型

下条信行は石戈を九州型と近畿型に分類した。 下條信行(1976)は九州型の特徴を次のように定義した。

(1)外形は身と胡と茎より形成される。
(2)身の中央に鏑が走り、断面は菱形である。
(3)援に樋が彫られることはない

すなわち弥生Ⅰ期からⅢ期において、溝となる樋が作られていない。身の基部近くに着柄用の孔を2個所あける。援(戈の刃部)の断面は菱形である。青谷遺跡では九州型磨製石戈が近畿地方で出土している珍しい例である。寸法は20cmから23cmである。田川郡糸田松ケ迫出土の石戈は副葬品として使用された可能性がある。金丸遺跡出土の石戈は九州で唯一の樋を有する石戈とされる。しかし寺前直人(2014)は計測結果の比較から、金丸遺跡出土の石戈を近畿形とはせず、銅戈を忠実に模倣して、中期初頭前後に製作された九州における初現期の銅戈形石戈とした。

近畿型は樋を通し、近畿を中心に分布し、長野・群馬・新潟にも点在する。

関西以東の石戈は援に2本の樋を表現するものがある。

石戈の編年

下條信行(1976)は石戈の分類と編年を提案した。分類の基準は、援(剣の剣身に相当)の長さ、胡(援両端の突出)の伸び具合、援と胡の角度、胡と援の関係である。 A型は援から胡への張り出しは強くない。鎬を挟んで、ほぼ左右対称であり、全体がずんぐりとする。援部が薄くなることにより援と内の厚さが等しくなる段階である。B形式は厚さが漸移的に変化する段階である。BⅠa型はA型に比べ大型化する。援が長くなり、その下部で胡に張り出す形式をBⅠa型とし、長さより左右の張り出しが強調されているものをBⅠb型とする。 関は直線でなくなる。C型は長さが短くなり、援の先端が鋭くなくなる。内の長さが極端に短くなり、横幅が広くなる。援部が薄くなることにより援と内の厚さが等しくなる段階である。

  • 弥生時代前期末  A型
  • 弥生時代中期初頭 A型、BⅠa型
  • 弥生時代中期中葉 BⅠa型、BⅠb型
  • 弥生時代中期後葉 BⅠa型、BⅠb型、C型
  • 弥生時代中期末  BⅠb型、C型

出土例

  • 石戈 - 青谷遺跡、神戸市垂水区、弥生時代中期
  • 石戈 - 前中西遺跡、埼玉県熊谷市、弥生時代中期後半、文様の描かれた「石戈」
  • 磨製石戈 - 青谷遺跡、神戸市西区伊川谷町別府・櫨谷町松本、弥生時代中期

参考文献

  1. 下条信行(1982)「武器型石製品の性格」平安博物館研究紀要 7
  2. 増田精一(1968)「分布と文化系統」『新版 考古学講座1 (通論 上) 』雄山閣
  3. 下條信行(1976)「石戈論」『史淵』113、pp.211~253
  4. 寺前直人(2014)「銅戈形石戈の出現」『駒沢史学』82、pp.148-160

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