勝坂遺跡 ― 2025年08月08日 00:10
勝坂遺跡(かつさかいせき)は神奈川県相模原市南区にある縄文時代中期の集落跡である。
概要
勝坂遺跡は相模川の東岸沿いに走る標高70mの相模原台地の西縁端に位置する縄文時代中期の集落跡である。遺跡の東北は小高い丘陵であり、西側は急傾斜の崖であり、相模川の沖積地に接する。遺跡中央部は豊かな湧水がある小谷が入り込み、東側にA地点、西側にB地点、C地点、D地点の合計4個所で遺構と遺物が発掘された。全体は馬蹄形である。 遺跡は都市公園「史跡勝坂遺跡公園」として整備保存されている。公園内の管理棟では勝坂遺跡出土品やパネルの展示を行う。
発掘調査
考古学者の大山柏が1926年(大正15年)に発掘すると、11 個の土器や顔面取手を含む土器破片 593 個と、53 個の打製石斧を検出した。遺跡の西側で縄文時代草創期の住居跡遺構と石器及び土器が検出された。土器は古い特徴が見られる。敷石住居は縄文時代草創期から500年後の遺跡である。
勝坂式土器
大山柏が発掘したA地点の土器は装飾的な文様、他の縄文土器より文様が立体的である、顔面把手などの特徴から、後に山内清夫により「勝坂式」土器と名付けられ、縄文時代中期(約 4500年前)の標式土器となった。縄文時代中期中葉に横浜市域を含めた関東地方南西部に広く分布しており、この時代の遺跡からは類似の文様が描かれた土器片が大量に見つかる。同時に発見された多くの打製石斧を、土を掘る道具と考えた原始農耕論が提唱された。実際は土掘り道具であり、山芋や球根を取って食べたと推測されている。
遺構
- 敷石住居1
- 土器集中1
- 集石
- 竪穴建物
- 土坑
- 配石4+
- 炉3
- 屋外埋甕
遺物
- 縄文土器(無文)
- 縄文土器
- 石器
- 黒曜石
- 礫
- 打製石斧
- 石匙
- 磨石
- 凹石
- 石皿
- 石錘
- 石棒
指定
- 1974年(昭和49年) 7 月 2 日、国指定史跡
- 1980年(昭和55年)10月22日(追加指定)- 勝坂遺跡D区
- 1984年(昭和59年)1月11日(追加指定)- 勝坂遺跡D区
- 2006年(平成18年)1月26日(追加指定)- 勝坂遺跡A区
- 2019年(令和元年)10月16日(追加指定)- 勝坂遺跡A区
展示
- 旧石器ハテナ館
- 相模原市立博物館
所在地等
- 名称:勝坂遺跡
- 所在地:〒252-0327 神奈川県相模原市南区磯部1780
- 交通:JR下溝駅 徒歩 20分
参考文献
- 相模原市教育委員会(1993)『相模原市埋蔵文化財調査報告18:埋蔵文化財発掘調査概報集』相模原市教育委員会
- 相模原市教育委員会(2018)『国指定史跡勝坂遺跡総括報告書』相模原市教育委員会編
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