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近江令2026年07月16日 00:49

近江令(おうみりょう)は天智天皇の時代に制定されたと伝えられる法令である。日本最初の令とする説があるが、その実在については議論がある。

概要

近江令は、飛鳥時代後期に天智天皇のもとで制定されたと伝えられる令であり、日本最初の令とする説がある。一方で、現存史料がないことから実在を疑う説もあり、日本古代法制史上の重要な論点となっている。 日本書紀には近江令の編纂・完成記事や「近江令」という名称はみえない。原本史料がなく、存在を裏付ける史料にもとぼしいことから、存在説と非存在説がある。 『藤氏家伝』天智7年の段に天智天皇は藤原鎌足に「礼儀」の編纂と「律令」の修訂を命じたとされる。大臣たちは礼・法制度の整備を検討し、条文を作成したと記される(沖森卓也、佐藤信訳(2019)『藤氏家伝』)。 弘仁格式に「天智天皇元年に至り、令22巻を制す。世人のいわゆる近江令である」と記される。(『類聚三代格』)。 日本書紀天智十年(671年)正月条に東宮大海人皇子(ある本には大友皇子と書かれる)は宣命し、冠位と法度を施行し、全国に大赦を行ったと記される。

名称

近江令の名称は、作られた場所が近江大津宮(現滋賀県大津市)」であったからである。天智天皇は、政治の中心地を飛鳥(奈良県)から近江に移した。目的は外国からの攻撃に備えるため(白村江の戦いで負けた直後)であったこと、伝統勢力の多い飛鳥をはなれ天皇中心の国づくり(律令国家)を目指したためと言われる。

反論

青木説

青木和夫(1992b)は『藤氏家伝』上や『弘仁格式』序(『類聚三代格』所収)は後代史料であり史料的価値を慎重に評価する説を展開した。 青木和夫説は単独法令説を展開し、近江令は単独の法令の集成を意味し、体系的法典としての令は編纂されなかったとする(青木和夫(1992b))。 『弘仁格式』序の「近江朝廷の令22巻」は飛鳥浄御原令を指していると指摘する学説もある。

史料

  • 日本書紀 天智十年(671年)正月条
  • (原文) 十年春正月己亥朔庚子・・・東宮太皇弟奉宣或本云大友皇子宣命施行冠位法度之事、大赦天下。法度冠位之名、具載於新律令也。
  • (大意) 10年1月1日、冠位制度および法令を施行した。大赦を与え、皇太弟(または大友皇子)が天皇の命を奉じて宣した。法令の名称は、新しい律令に詳細に記されている。

参考文献

  1. 青木和夫(1992a)『日本古代史』放送大学教育振興会
  2. 青木和夫(1992b)『日本律令国家論攷』岩波書店
  3. 井上光貞、佐伯有清、川副武胤(2020)『日本書紀』中央公論新社
  4. 大津透(2020)『律令国家と隋唐文明』岩波書店
  5. 大津透『律令制とは何か』山川出版社
  6. 沖森卓也、佐藤信訳(2019)『藤氏家伝』筑摩書房
  7. 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋(1994)『日本書紀』岩波書店