角塚古墳 ― 2024年04月13日 00:12
角塚古墳(つのづかこふん)は岩手県奥州市にある 5世紀後半-6世紀初頭の前方後円墳である。2024年、日本100名墳に選出された。
概要
岩手県内では最大で最古の現存する古墳である。北上川の中流、北上盆地の南寄り、西から合流する胆沢川が形成した扇状地の標高75の地点にある。古墳は昭和10年代から地元研究者が埴輪の出土に注目していた。昭和20年代に学会に紹介され、日本最北端に位置する本格的な前方後円墳として注目された。 1940年代に後円部東南隅を畑地とするため削平された。1950年代前半に前方部に教員住宅が建築された(前方部の旧状は不明)。東方2キロに史跡胆沢城跡があり、
調査
周濠は後円部周辺が幅約10m、前方部で約3mと狭くなっている。全体が馬蹄形状である。 前方部には各種の埋葬施設は墳頂部の平面下に設けられたと推測されるが、破壊されているため手がかりはない。昭和49年、50年に、角塚古墳で初めての周湟調査により出土した埴輪は、円筒埴輪と形象埴輪であった。形象埴輪は動物、人物、家形埴輪等が残る。出土遺物の大半は埴輪破片である。形象埴輪は、全体形状はうかがえないが、わずかに首の部分、猪の鼻等が識別できる。鶏形埴輪と円筒埴輪は完形に近い。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段?、後円部:3段
- 墳長 46m
- 後円部 径径30.4m 高4.9m
- 前方部 幅20.4m 長14.1m
外表施設
- 円筒埴輪 円筒・朝顔形(?)Ⅴ式
- 葺石 あり
遺物
築造時期
- 出土埴輪等により6世紀前半の築造と推定される
被葬者
- 不明
伝説
伝説によれば、高山掃部長者の妻が大蛇に変身し、農民を苦しめていたところを小夜姫がお経の力で退治し、その大蛇の角を埋めたのがこの古墳とされる。本古墳に手を付けると祟りがあると伝えられるため、現在まで墳丘が維持された要因と見られる。
展示
- 胆沢郷土資料館
指定
- 1985年3月22日 - 史跡名勝天然記念物
アクセス等
- 名称 :角塚古墳
- 所在地 : 岩手県奥州市胆沢区南都田字塚田
- 交 通 :JR水沢駅から車で約15分/バス岩手県交通 胆沢水沢線北回り20分「角塚公園下車」。
参考文献
船山1号墳 ― 2024年04月07日 00:08
船山1号墳(ふなやまいちごうふん)は愛知県豊川市にある古墳時代中期の前方後円墳である。
概要
豊川市の西側を流れる西古瀬川と音羽川にはさまれた洪積台地の標高約26mの場所に船山1号はある。現在は墳丘の大部分が削平されている。船山1号墳は墳長 96mと東三河地方で最大規模の前方後円墳である。周辺では律令時代に国府・国分寺・国分尼寺が建立されており、古代から開けた場所であった。古代の三河国の国府跡にはは国庁の正殿と想定される石組雨落溝を伴う四面廂建物、後殿と考えられる東西棟の大型掘立柱建物が検出されている。現在も国府駅がある。
調査
1945年(昭和20年)の防空壕切削時に、鉄製品(鉄刀3点 、鉄鉾3点 、鉄鏃約 70点)が出土した。平成20年の調査では南側くびれ部に、平成27年4月から11月の調査では北側くびれ部からほぼ相似形の造り出し(南側8.3m×4.0m、北側8.5m×4.5m)がみつかった。 平成27年調査では、前方部と後円部の3段築成、葺石が確認されている。南側造り出しから食物供献儀礼に使われたと思われる小型高坏25点・土師器はそう2点・笊形土器3点・匙形土製品1点・異形注口土器1点・食物土製品2点が出土した。北側の造り出しから儀礼祭祀を行ったと考えられる円筒埴輪列に囲まれた家形・蓋形・盾形などの形象埴輪が出土した。
規模
- 形状 前方後円墳
- 墳長 96m
- 後円部 径径50m 高6.5m
- 前方部 幅56m 長44m 高6.5m
外表施設
- 円筒埴輪 円筒・朝顔形Ⅳ・Ⅴ式
- 葺石 あり 角礫使用
主体部
遺物
- 鉄鏃 - 広身 65・無茎広身 8
- 小型高坏身(TK10~TK43) - 須恵器
- 匙形土製品
- 異形注口土
築造時期
- 5世 紀後半築造
被葬者
- 5世紀後半の三河の支配者と想定
展示
- 三河天平の里資料館
指定
アクセス等
- 名称 :船山1号墳
- 所在地 : 愛知県豊橋市八幡町字上宿
- 交 通 :名鉄豊川線 国府駅 徒歩4分、220m。
参考文献
- 豊川市教育委員会(1989)「船山第1号墳発掘調査報告書」
雨の宮一号墳 ― 2024年04月04日 19:56
雨の宮一号墳(あめのみやいちごうふん)は石川県鹿西町にある前方後円墳である。
概要
能登半島の中央部を東西に横切る邑知地溝帯付近の眉丈山山中にあり、1号墳は、墳丘長64メートルの県内で最大規模の前方後方墳である。墳丘の主軸は東西方向で、前方部は東に向く。短い前方部で、墳長64mに対して、前方部高さは推定6.5mで、比較的に高さがある。埋葬施設は粘土槨で7.2m、幅2mの規模である。主軸は南北方向である。
調査
1990年代に墳丘表面の全面発掘が行われた。棺は長さ6.3m、幅2mの割竹形木棺である。副葬品は神獣鏡1面、車輪石4(緑色凝灰岩製、外径、内孔とも卵形である)、石釧15(最大直径11cm)、琴柱形石製品 1、管玉14個、方形板革綴短甲1領、銅鏃 52本、鉄鏃 約30本、直刀7本以上、剣3本以上、短剣7本以上、鉄斧2個、靫1点(漆が塗られる)、漆製品などであった。墳丘の裾部3箇所から壺、高坏などが出土しており、葬送儀礼での使用品とみられる。 仿製神獣鏡の鏡面に布が付着し、板状の木片が残ることから、木箱に納め布で包装していたとみられる。貴重品との認識があったようだ。
規模
- 形状 前方後方墳
- 築成 前方部:2段、後方部:2段
- 墳長 64m
- 後円部 径45×36m 高6.5m
- 前方部 幅推定35m 長推定28m 高推定6.5m
外表施設
- 葺石 あり -安山岩・花崗岩の割石角礫
遺構
- 主体部
- 室・槨 粘土槨
- 棺 木棺直葬
遺物
- 仿製鏡 神獣鏡1
- 車輪石4・
- 石釧15
- 管玉14
- 琴柱形石製品 1
- 鉄剣 短剣7
- 鉄刀 大刀7
- 鉄鏃 約30
- 銅鏃 52
- 革綴短甲 方形板1
- 靫1
- 斧2
- 漆製品(盾?)1
- 赤色顔料
時期
- 古墳時代前期後半(4世紀中頃~後半)
被葬者
- 能登一円を支配した人物と想定
指定
- 1982年(昭和57年)10月12日 史跡指定
- :2008年7月10日 - 重要文化財
アクセス
- 名 称:雨の宮一号墳
- 所在地: 〒929-1602 石川県鹿島郡中能登町能登部上7
- 交 通:西日本旅客鉄道 能登部駅 から徒歩56分 3.6km
参考文献
- 文化庁編(1997)「発掘された日本列島'97」朝日新聞社
安萬宮山古墳 ― 2024年03月24日 01:22
安萬宮山古墳(あまみややまこふん)は大阪府高槻市にある一辺約20mの長方形墳である。
概要
安満山の中腹にあり、安満宮山古墳は三島で最古の古墳である。3世紀後半の邪馬台国時代に築造されたと考えられている。三島平野の安満山山塊には、40基にのぼる古墳が群在し、安満山古墳群と言われる。標高は約125mである。尾根先端の地形を利用して作られた。埴輪、葺石はなかった。長方形で南北方向21m、東西方向20m以下と見られる。
調査
墓抗は東西7.5m、南北3.5m、底に排水口を巡らせ、中央に深さ1.2mの木棺埋納抗を造り、割竹型木棺を直葬する。棺はほぼ朽廃していたが、直径0.8m、長さ5mのコウヤマキ製とみられる。遺体は東枕に葬られ、頭のすぐ近くから、銅鏡5面と、ガラス小玉1000個以上がみつかった。足下には刀、斧、ヤリガンナ、鑿、刀子、鎌など鉄製の武器や農具が置かれる。古墳祭祀の定型化以前の手法と見られ、3世紀後半の築造とみられる。
銅鏡
銅鏡は白銅色に輝き、鏡を包んだ麻布も残る。5面の銅鏡の内、二神三獣鏡は後漢末期、残る4面は義の時代。方格規矩四神鏡は235年製作と確定できる。同向式神獣鏡や三角縁環状乳四神四獣鏡は240年頃の作品とみられる。これらは240年、卑弥呼から魏に届けられた銅鏡100面のうちの一部である可能性が高い。
遺構
- 墓 坑
- 木棺
- 排本溝
遺物
- 1号鏡 - 三角縁「吾作」環状乳四神四獣鏡 直径21.8cm
- 2号鏡 「青龍三年」方格規矩四神鏡 直径17.4cm
- 3号鏡(三角縁「天・王・日・月・吉」獣文帯四神四獣鏡 直径22.5cm
- 4号鏡(斜縁「吾作」二神三獣鏡 直径15.8cm
- 5号鏡(平縁「陳是作」同向式神獣鏡 直径 17.6cm
- ガラス玉
- 直刀1点、
- 斧2
- 刀子 2
- 釶 2
- 鏨・ - 1
- 鎌 - 1点
- 布
- 棺材及び横板財
- 須恵器
- 尖頭器
考察
指定
- 2000年6月27日 - 国指定重要文化財
- 史跡指定は無い
展示
- 高槻市立今城塚古代歴史館
アクセス
- 名 称:安満宮山古墳
- 所在地:〒569-1101 大阪府高槻市安満御所の町 公園墓地内
- 交 通:JR高槻駅から(〈上成合〉〈川久保〉行き)磐手橋バス停下車徒歩25分(坂道)
参考文献
- 文化庁(1998)「発掘された日本列島 '98」朝日新聞社
- 高槻市教育委員会(2000)『安満宮山古墳』高槻市文化財調査報告書第21冊
中半入遺跡 ― 2024年03月10日 00:39
中半入遺跡(なかはんにゅういせき)は岩手県奥州市にある古墳時代の遺跡である。
概要
岩手県水沢市北西部の胆沢川沿いの段丘上に立地する。 古墳時代の遺構は約500m四方に分布していた、竪穴建物は約50棟が確認されている。住居跡は微高地に集中する。4世紀後半から6世紀前半まで続いたとみられる。出土遺物には土師器、須恵器、続縄文土器、黒曜石製石器、砥石、方割石、石製模造品、玉類、羽口などである。黒曜石製石器は小型スクレイパー、石核、剥片など1200点がみつかっている。使用する原石は宮城県湯倉産原石が90%である。琥珀は玉に加工したものは少なく、大部分は原石であった。石製品は双孔円板、勾玉、管玉、紡錘車などである。 5世紀後半から末の中半入遺跡出土の3体分の馬骨と歯牙が東北で最古の馬の出土である。御崎馬と同程度の小型馬(体高100~120cmのポニー)である。古墳時代には角塚古墳を築いた。*調査 第二次調査は平成14年4月7日から平成14年12月3日に行われた。黒曜石はエネルギー分散型蛍光X分析により、湯ノ倉産原石が使用されているとされた。ただし確率は19%である。放射性炭素年代測定では、1290±40Cal BPとされた。暦年代では西暦700年である。
考察
中半入遺跡からは、大阪府陶邑産の須恵器、宮城県産の黒曜石、久慈の琥珀やガラス製の玉類、馬の歯など、遠方との交易を示す品が大量に出土する。前方後円墳は大和朝廷の影響が見られる。古墳文化の最北端であると同時に、続縄文文化の最南端という両方の文化が交錯する場所とされる。竪穴住居跡から大量に出土した須恵器は、胎土分析により大阪府堺市の陶邑小窯跡群で焼かれたものであることが判明している。つまり相当に広域に渡る人々の交流があった。にもかかわらず、続日本紀では「山海二道(山道・海道)の果て賊奴の奥区」と書かれており、律令国家の外側に位置づけられていた。武力須支配と物流は別ものということであろうか。
遺構
- 土坑15
- 竪穴建物41
- 竪穴4
- 方形区画1
- 周溝2(円形)
遺物
- 土師器
- 須恵器
- 石器
- 続縄文土器
- 石製模造品
- コハク
- 黒曜石
指定
展示
アクセス
- 名称:中半入遺跡
- 所在地:〒023-0003 岩手県奥州市水沢佐倉河中半入39
- 交 通:
参考文献
- 岩手県水沢地方振興局(2004)『中半入遺跡』岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第443号
椿井大塚山古墳 ― 2024年03月07日 23:34
椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)は京都府相楽郡山城町に所在する古墳時代前期の前方後円墳である。
概要
京都府南部の木津川東岸に位置する。1953年(昭和28年)、JR奈良線の拡幅工事の中で発見された。竪穴式石室の周辺から三角縁神獣鏡32面を含む40面近い銅鏡や副葬品が発見された。三角縁神獣鏡が多量に出土する古墳としては黒塚古墳と椿井大塚山古墳が代表的である。 36面以上(破片があること、盗掘を受けた可能性から「以上」となる)の鏡のうち32面が三角縁神獣鏡であった。一つの古墳から三角縁神獣鏡が出土した数としては黒塚古墳と並ぶ。 鏡は三角縁神獣のほか、画文帯神獣鏡・内行花文鏡・方格規矩鏡の銅鏡がある。武器として、 鉄素環頭大刀・鉄剣・鉄槍・鉄鏃・鉄小札革綴冑・鉄甲。鉄槍などの武器・武具類が出土している。 工具類は鉄斧・鉄釶・鉄鑿・鉄錐鉄銛、漁具類は鉄釣針・鉄魚叉など、農具は鉄鎌などが出土する。鏡と副葬品から長い間、最古の前方後円墳と位置づけられてきた。築造時期は、奈良県桜井市の箸墓古墳を頂点とする定型化した前方後円墳の出現時期(3世紀後半)と推定されている。
調査
1995年から山城町が実施した墳丘規模の確認調査により、規模、構造、築造年代が判明した。椿井大塚山古墳は後円部4段、前方部2段の版築である。全体的に花崗岩の葺石が敷かれている。墳丘の裾は確認できないが、全長175m、後円部直径110m、前方長さ80m、前方部長さは80m、墳丘高さは後円部20m、前方部は約20mであった。後円部中央に竪穴式石室があり、内法長さ6.9m、幅1.1m、高さは約3mである。 前方部の墳丘平坦面では墳丘の主軸に沿う幅約2mのベルト状の盛土が約10m検出された。 三味線の撥形の平面形状であり、前方部の前端線は直線ではなく、弧を描く。椿井大塚山古墳は箸墓古墳と相似形であり、3分の2のサイズとして設計された前方後円墳と見られる。
鏡の配布の考察
さらに同じ型で作られた同笵鏡が全国各地から出土している。椿井大塚山古墳を中心とする同笵鏡の分有関係から、小林行雄は、椿井大塚山古墳の首長は、鏡の保管と配布で直接的な役割をはたしたと考えている(小林行雄(1961))。三角縁神獣鏡の多くは、同じ型から製造した同笵鏡が京都府の椿井大塚山古墳を中心として全国の古墳に分散して発見される。平塚市博物館にある三角縁四神二獣鏡も椿井大塚山古墳1 面、岡山県備前車塚古墳2面、兵庫県権現山51 号墳1 面の同笵鏡が確認されている。愛媛県文化歴史博物館の三角縁獣文帯四神四獣鏡は破片であるが、椿井大塚山古墳、桜井茶臼山古墳から出土している。 小林行雄、田中琢らの考古学者は武埴安彦(タケハニヤスヒコ)を椿井大塚山古墳の被葬者にあてている。日本書紀によれば武埴安彦は崇神のとき、葛城から生駒山麓、山城地方が 根拠地なので、支配領域は合っているが、伝承からは全国的な影響力の広がりを想定できない。 すなわち椿井大塚山古墳の被葬者は全国的な影響力をもつ権力者であったと推察する。同笵鏡の全国的な広がりは日本書紀や古事記に書かれない埋もれた歴史があることを思わせる。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:4段
- 墳長 175m
- 後円部 径110m 高20m
- 前方部 幅76m 長80m 高10
外表施設
- 葺石 あり
主体部
- 室・槨 竪穴式石槨
- 棺 割竹形木棺
遺物
- 【鏡】中国:内行花文鏡2、画文帯環状乳神獣鏡1、方格規矩四神鏡1、三角縁神獣鏡類32以上。
- 【武器・刀剣類】鉄剣:十数、鉄刀:7以上(素環頭大刀1)、鉄槍:7以上。
- 【武器・鏃】類銅鏃:200以上、銅鏃:19。
- 【武具】その他:小札革綴冑1。
- 【農工具】農具:鎌3、工具:斧10(短冊5)、刀子17、削刀子7、?7以上、錐8以上、鑿1以上、鉄製弧形尖頭器3、漁具:釣針1、扠十数(組合式2以上)。
- 【その他】花弁形装飾付鉄製品(冠?)1、堅矧板状鉄製品(有機質甲の引合板の可能性あり)2。
築造時期
奈良県桜井市の箸墓古墳をピークとする定型化した前方後円墳の出現(3世紀後半の古墳時代前期)と同時代と推測される。
被葬者
- 木津川の流域を本拠地にした大豪族の墓
展示
- 京都大学総合博物館
指定
- 2000年(平成12年)9月6日 「国史跡」に指定される。
- 1992年(平成4年)6月22日 京都府椿井大塚山古墳出土品 一括(考古資料)重要文化財
アクセス等
- 名称 椿井大塚山古墳
- 所在地 〒619-0205 京都府木津川市山城町椿井三階・太平
- 交通:JR奈良線「棚倉」駅下車
参考文献
- 文化庁(1999)『発掘された日本列島'99』朝日新聞社
- 小林行雄(1957)『初期大和政権の勢力圏』史林 40 (4),pp.265-289
- 小林行雄(1961)『古墳時代の研究』青木書店
- 塚口義信(2016)『邪馬台国と初期ヤマト政権の謎を探る』原書房
上岩田遺跡 ― 2024年03月02日 21:44
上岩田遺跡(かみいわたいせき)は福岡県小郡市にある縄文時代から古墳時代末期にかけての複合遺跡である。
概要
筑紫平野の北、宝満川の東岸台地の標高19m程度に位置する。筑後国御原郡衙跡と考えられる小郡官衙遺跡の2㎞東にあり、寺院の金堂跡と推定される基壇とその北方に計画的で規格性をもつ大型掘立柱建物群がある。小郡官衙遺跡に先行する官衙か郡司の居宅と推定される。九州最古級の古代寺院「上岩田廃寺」の遺構とその周囲に計画的に配置されたと思われる掘立柱建物群が明らかになった。寺院の基壇は東西18.5m、南北16.5m、高さ1.75mであった。礎石、根石を抜き取った孔が見つかったが、礎石は出土していない。2間×3間の4面のに庇がついている。 建物は3軒、四面の金堂で、周辺には基壇建物は検出されていない。一堂寺院の可能性がある。基壇とその周辺から、鬼板瓦、垂木先瓦、軒丸瓦、平瓦、丸瓦が出土した。軒平瓦は出土しない。垂木先瓦、平瓦、丸瓦は奈良県山田寺系、重弁八弁蓮華文の鬼板瓦、単弁六弁の軒丸瓦は高句麗、百済系の瓦である。 基壇の北側で掘立柱建物群は20棟以上が検出された。うち6棟は大型掘立柱建物で、すべて主軸は真北方向で、南北棟、東西棟がある。基壇から250先に掘立柱建物は約70棟検出された。郡司クラスの居宅と推定される。
調査
1995年から1999年にかけて発掘調査が行われ、縄文時代の落とし穴約140、弥生時代、古墳時代から奈良時代にかけての350軒、掘立柱建物200棟、土坑350基、道路上遺構を多数検出した。さらに基壇に多数の地割痕があり、建物群は地震のために倒壊したと推測される。『日本書記』天武7年(678年)条記載の筑紫大地震で建物に多大な被害が出たと考えられることから、その後、役所機能は小郡官衙遺跡へ移転されたと見られる。地震の最大震度はマグニチュード6から7と想定されており、筑後平野に大きな被害を与えた。白鳳時代に上岩田廃寺が創建され。基壇上部の縁辺や斜面には東西、南北方向に幅2cmから25cmの地割れにより、版築層がずれていた。寺の金堂は筑紫大地震によって倒壊した可能性が高い。造営から倒壊まで30年程度である。
遺構
縄文時代
- 落とし穴 - 縄文早期、縄文後期
- 甕棺墓
弥生時代
- 周溝
- 溝
古墳後期から奈良時代
- 竪穴建物200+
- 井戸1
- 掘立柱建物
- 基壇建物
- 道路
- 竪穴建物
- 土坑
- 土壙墓
- 木棺墓
- 火葬墓
- 溝
- 土採穴
- 柵
- ピット
飛鳥時代
- 大型建物群
- 柵列
- 道
- 住居
- 井戸
- 基壇建物
- 掘立柱建物
- 竪穴建物
- 地震痕跡
- 製塩土器
- 土製品
- 土馬
- 鉄製遺物
奈良
- 基壇
- 土坑
遺物
- 須恵器、
- 土師器、
- 瓦、
- 石帯、
- 硯、
- 墨書土器、
- 刻書土器
- 鬼板瓦
- 垂木先瓦
- 軒丸瓦
- 平瓦
- 獣脚硯
- 土器
- 墨書土器
- 土馬
指定
- 1971年 国指定 史跡名勝天然記念物 小郡官衙遺跡
- 2000年 追加指定 史跡名勝天然記念物 上岩田遺跡 小郡官衙遺跡群
展示
- 小郡市埋蔵文化財調査センター 一部を展示
アクセス
- 名称:上岩田遺跡
- 所在地:〒838-0121 福岡県小郡市上岩田1082
- 交 通: 甘木鉄道 松崎駅 徒歩6分。
参考文献
- 小郡市教育委員会(2018)「上岩田遺跡15」小郡市文化財調査報告書
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