高倉塚古墳(府中市) ― 2024年02月19日 20:36
高倉塚古墳(府中市)(たかくらづかこふん)は府中市分梅町にある古墳時代の円墳である。
概要
多摩川中流域の府中崖線の斜面には確認された古墳が27基ある。これらは高倉古墳群高倉古墳群のなかで墳丘が現存する古墳の一つである。東側には大國魂神社、武蔵国府跡がある。付近の古墳群からも土器・直刀・鉄鏃・玉類が出土し、銀象嵌太刀および太刀四振りは、平成六年二月に府中市の市の指定史跡に指定された。
調査
1989年のマンション建設に伴い調査された。確認された古墳27基のうち、現在、墳丘があるものは5基ある。高倉古墳群の中心となるのが高倉塚古墳である。
規模
- 形状 円墳
- 径 約44m
- 周溝外径約60.5m
- 高さ 2.5m
遺構
- 横穴式石室
遺物
築造時期
- 6世紀前半の土師器杯が出土した。
指定
展示保管
アクセス等
- 名称:高倉塚古墳 遺跡番号 4の1 所在地:東京都府中市分梅町1-11-2
- 交通:JR・京王鉄道分倍河原駅から徒歩7分
参考文献
狐塚古墳(調布市) ― 2024年02月17日 14:24
狐塚古墳(調布市)(きつねづかこふん)は東京都調布市にある古墳時代の円墳である。
概要
調布市の多摩川中流域にある左岸に展開する下布田古墳群の中の円墳である。多摩川と野川の崖は下は天然の湧き水がでるため、古代人には良好な居住地であった。この付近に古墳が造営されるのは5世紀中頃からであった。下布田遺跡、染地遺跡、杉森遺跡、原山遺跡、飛田給遺跡などがあるが、ほんんどは整地されてしまい、遺構は残っていない。下布田古墳群には13基の円墳が発見されている。狐塚古墳はそのひとつである。 狐塚古墳は昭和19年頃、照空隊陣地(高射砲陣地)設営のため大半が掘り崩され、平成12年の調査時点では、中央部分に80センチ程の高まりを残すだけであった。発掘調査後に史跡公園「歴史の広場」として保存された。現地は草が生い茂っている。付近に「調布市遺跡調査会 調布市博物館分室」がある。郷土博物館分室は通常公開していない。
調査
狐塚古墳の調査は、調布市布田六丁目土地区画整理事業に伴い、平成12年10月から13年3月にかけて行われた。天井部分が破壊された半地下式の横穴式石室から、羨道に近い石室西壁下から鉄製大刀3点、小刀1点、鍔2点、刀子1点、鉄鏃1点が出土した。大刀3点のうち最長は、全長94.5cmの直刀で、刀身に径約5mmの孔を穿つ「刃関孔大刀」であった。石室は、現状で羨門から奥壁まで8.7m、石室床面長6.8mの大きさで、奥壁へ向かってやや幅が広くなる羽子板状であった。
規模
- 形状 円墳
- 径 約44m
- 周溝外径約60.5m
- 高さ
遺構
半地下式の横穴式石室
遺物
- 鉄製大刀3点、
- 小刀1点、
- 鍔2点、
- 刀子1点、
- 鉄鏃1点
- 須恵器
- 土師器
築造時期
- 7世紀前半 古墳時代終末期
指定
- 平成30年3月15日 - 東京都指定史跡
展示保管
調布市郷土博物館で保管
アクセス等
- 名称:狐塚古墳(下布田6号墳)
- 所在地:東京都調布市布田6-53-1・2・3・4
- 交通:京王線 布田駅から 徒歩11分 800m
参考文献
亀塚古墳 ― 2024年02月15日 10:38
亀塚古墳(かめづかこふん)は東京都狛江市にある帆立貝式古墳である。
概要
亀塚古墳は江戸時代は「大塚」と呼ばれるように、狛江古墳群で最大の古墳である。現在、丘の一部に徳富蘇峰が揮毫した「狛江亀塚」石碑が立てられている。
調査
1951年(昭和26年)に狛江市は國學院大學・大場磐雄教授の指導で発掘調査を行った。墳丘に円筒埴輪が巡り、前方部に馬や人物の埴輪がたっていた。埋葬施設は木炭槨が2基、前方部から石棺1基が検出された。副葬品には金銅製冠や中国の後漢時代の鏡である神人歌舞画像鏡(径20.1cm、厚約1.0cm、鈕径3.5cm)が検出された。神人歌舞画像鏡はトヅカ古墳(京都府京田辺市、京都国立博物館蔵)、番塚古墳 (福岡県京都郡苅田町、九州国立博物館蔵)でも出土している。 馬具のものと思われる金銅製毛彫飾板は高句麗の古墳壁画に似た人物、龍、麒麟が描かれており、大場教授は被葬者は渡来系氏族説を唱えた。
規模
- 形状 前方後円墳
- 全長 483m
- 後円部 径36m
- 後円部 高さ6.9m
外表施設
遺構
- 木炭槨
- 石棺
遺物
- 神人歌舞画像鏡 - 東京国立博物館蔵
- 金銅製毛彫飾板
- 鈴釧
- 武器、
築造時期
5世紀末~6世紀初頭
指定
アクセス等
- 名称:亀塚古墳
- 所在地:〒201-0013 東京都狛江市元和泉一丁目21番12号
- 交通:狛江駅から徒歩10分、550m
参考文献
宮谷古墳 ― 2024年02月12日 12:43
宮谷古墳(みやだにこふん)は徳島県徳島市にある古墳時代の前方後円墳である。
概要
宮谷古墳は徳島市の西側の丘陵裾にあり、阿波史跡公園の南側にある。徳島県で最古の前方後円墳と想定されている。後円部は削平されており、前方部と周辺部は畑に利用された。開墾のため後円部は削平されている。 近隣の積石塚は墳丘裾で円筒埴輪列が確認されているため4世紀後半と考えられている。
調査
1988年から1989年にかけて発掘調査され、1989年(平成元年)のトレンチ調査で、 竪穴式石槨があり、その木棺中に鉄剣、管玉、ガラス小玉、直径7.3cmの小型重圏文鏡、ヤリガンナが検出された。前方部斜面から三角縁神獣鏡3面が出土した。徳島県内では初の三角縁神獣鏡であった。墳頂部から壺型土器が大量に出土した。出土土器から4世紀前半と考えられている。 前方部と後円部の比率が1:1となること、古墳の縁の葺石を石垣状に積み上げること、前方部は尾根の上側に位置し、埋葬施設は古墳の主軸に斜行して東西を向くこと、平面形は纒向型前方後円墳に近い。後円部中央に墳丘の主軸と平行する東西方向の竪穴式石槨がある。
規模
墳丘
- 形状 前方後円墳
- 墳長 40m
- 後円部 径25m 高2.4m
- 前方部 幅11m 長15m 高1.6m
外表施設
- 形象埴輪 布留式土器(壺形など)
- 葺石 あり(結晶片岩割石)
- 【造出】なし。
- 【周濠】なし。
- 【周堤】あり
遺構
- 主体部 室・槨 竪穴式石槨
遺物
- 【鏡】中国:三角縁神獣鏡 3面。
- 鉄剣、
- 管玉、
- ガラス小玉、
- 小型重圏文鏡、
- ヤリガンナ
築造時期
- 4世紀前半
展示
- 徳島市立考古資料館
指定
アクセス等
- 名称:宮谷古墳
- 所在地: 〒779-3127 徳島県徳島市国府町西矢野
- 交通:JR徳島線 府中駅から徒歩40分から50分、2.8km。
参考文献
- 徳島市教育委員会(1993)「徳島市埋蔵文化財発掘調査概要3」
鴨都波1号墳 ― 2024年02月10日 12:01
鴨都波1号墳(かもつばいちごうふん)は奈良県御所市にある古墳時代の方墳である。
概要
葛城山麓から伸びる低い丘陵の東端の標高99mから101m、葛城山系から流れる柳田川と金剛山麓から流れる葛城川の合流地点の河岸段丘上に所在する。鴨都波1号は南北20m、東西16mの方墳である。周囲を幅約4mの周濠が巡る。埴輪、葺石はない。昭和28年から発掘調査が行われた。主体部は盗掘されておらず、木棺が出土した。規模に比べて豊富な副葬品を有する古墳である。三角縁神獣鏡が3面出土した。鏡は背(文様面)を上にして並べていた。古墳時代前期の時期における小型の古墳で短甲を副葬する例はヤマトに限られるため、他地域との武力での優越性を示すものといえる。被葬者の歯や棺材の遺存状態は良好であった。靫や槍・剣の装具などの漆塗り製品もみつかり、経済力の豊かさが見られる。葛城氏につながる勢力の中心人物と見られる。
遺構
主体部はコウヤマキ製の長さ4.3mの木棺を粘土槨で覆う。棺内は水銀朱とベンガラにより赤く塗られる。被葬者は頭を北にして仰向けで埋葬されていた。
遺物
- 三角縁神獣鏡 3面
- 三角縁吾有好道三神三獣鏡
- 三角縁二神龍虎画像鏡
- 三角縁三神三獣鏡
- 杖状木製品
- 紡錘車形石製品
- 硬玉製勾玉
- 碧玉製管玉
- ガラス小玉
- 鉄刀
- 鉄鏃
- 板状鉄斧、
- 袋状鉄斧
- 釶
指定
展示
時期
- 古墳時代前期中葉(4世紀中葉)
アクセス
- 名称:鴨都波1号墳
- 所在地:奈良県御所市三室20番地
- 交 通: 近鉄御所線「御所駅」から徒歩約7分
参考文献
- 御所市教育委員会(2002)「鴨都波16次発掘調査報告」+
殿山横穴遺跡群 ― 2024年01月21日 15:44
殿山横穴遺跡群(とのやまおうけつぼいせきぐん)は東京都世田谷区にある古墳時代の横穴墓遺跡である。
概要
武蔵野台地縁、野川に面した台地に立地し、武蔵野と立川の間の崖面に位置する。多摩川左岸の国分寺崖線斜面、標高22m 付近に立地している。台地上部は殿山遺跡・大蔵館跡、さらに古墳時代終末期の群集墳である殿山古墳群が存在する。崖線部の地質は表土下に関東ローム層で覆われ、約8m以深に固結シルトが堆積する。
調査
東京外郭環状道路(外環道)の東名ジャンクション(仮称)建設予定地に、古墳時代の横穴墓群が見つかり、2015年8月から東京都スポーツ文化事業団が発掘調査を行った。調査は平成27年6月22日から平成27年10月20日にかけて行われた。横穴墓は両袖を持つ羽子板形11、袖を持たない撥形3、不明1で、撥形では玄室奥に棺台を持つもの1基がある。 横穴は全部で17基あり、内部からは葬られた「人骨」とともに、鉄の刀などの武器や首飾りなどの装飾品が出土した。遺物は、須恵器2 点、土師器1点と出土は僅かであったが、ガラス小玉506点、切子玉15点などが出土し、鉄製品では鉄刀12 本などのほか、鞘に付帯する足金具とみられる鉄製品、弓に付帯する両頭金具、鑷子状の鉄製品、銅製品では耳環13 点などが出土した。盗掘被害に遭っていないため、副葬品の保存状態が良好であった。
見学会
発掘調査の状況を地域住民を対象に平成27年9月26日(土)に見学会を開催した。参加者数は607名であった。
遺構
- 横穴墓
- 玄室
- 羨道
出土
- 須恵器
- 土師器
- 玉類 - 勾玉・管玉・切子玉・棗玉・ガラス小玉・土玉(丸玉)
- 鉄製品〔直刀、両頭金具、刀子、鑷子状鉄製品〕
- 銅製品〔耳環〕
- 鉄鏃
アクセス等
- 名称:殿山横穴遺跡群
- 所在地:世田谷区大蔵5丁目20番地先
- 交通:成城学園前 から南に徒歩24分 1.8km
参考文献
西岩田遺跡 ― 2024年01月20日 00:05
西岩田遺跡(にしいわたいせき)は、大阪府東大阪市にある古墳時代の遺跡である。
概要
西岩田遺跡は河内平野のほぼ中央に所在する。弥生時代中期以前は河内潟の満潮時汀線より下位にあった。すなわち古墳時代より前には、河内湖より水面下にあった。弥生中期末以後の海水面の低下と旧大和川による急激な沖積作用とによって陸となり、河内湖の水域と広い千潟を前面にのでむ微高地上に集落が形成され、5世紀頃から人が住むようになった。西岩田遺跡は古墳時代には水辺の集落遺跡であった。木製農具の出土より西岩田周辺で農業が行われていたことは確実といえるが、南の集落に比較すると半農半漁であり、水上交通の拠点となっていた。2022年6月23日に現地見学会を実施した。
調査
1960年代に発見され、昭和46年には中央南幹線下水管渠築造に伴って西岩田遺跡で最初の発掘調査が実施された。出土土器のなかで近畿地方の古墳時代初頭の土器型式(庄内式から布留式古段階)と吉備地方の同じ頃の上器型式(酒津式)とが同じ地層より出土することが注目された。庄内式の甕にみられる胴部内面をヘラで削る技法は吉備地方からの影響であることが証明された。1971年(昭和46年)調査では古墳前期の井戸や奈良時代の掘立柱建物などが検出された。1982年(昭和57年)の発掘調査では、古墳時代前期の溝、奈良時代の柱穴などを検出した。横幅7.2m、奥行3.6mの掘立柱建物が検出された。奈良時代以前の建物とみられる。その下層から古墳時代中期から後期の遺物が発見された。須恵器が多く、特に高坏が多く出土した。そのほか高坏に載せる蓋、坏身、壺、甕、製塩土器、石製臼玉が出土した。その下層から籠目土器、船の櫂、有頭棒(杵や機織りに使う)、横鍬(田を均すために使う)、大型木製品(用途不明)が出土した。 2023年4月、3世紀前半の木製仮面が出土した。国内3例目である。
遺構
- 竪穴建物
- 倉庫
- 掘立柱建物
- 土壙-
- 溝
- 井戸
遺物
- 土師器
- 須恵器
- 瓦器片
- 古瓦片
- 摺鉢片
- 石製臼玉
- 製塩土器
指定
時期
アクセス
- 名称:西岩田遺跡
- 所在地:大阪府東大阪市西岩田3丁目/4丁目
- 交 通:近鉄奈良線 若江岩田駅 徒歩16分
参考文献
- 瓜生堂遺跡調査会(1976)「西岩田・瓜生堂遺跡 試掘調査報告書Ⅰ」
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