弥生二丁目遺跡 ― 2023年05月17日 23:12
''弥生二丁目遺跡'(やよいにちょうめいせき,)は東京都文京区弥生に位置する弥生時代後期の集落跡である。薄く硬い土器がつくられた時代が弥生時代である。
概要
向ヶ丘貝塚
1884年(明治17年)、東京大学の有坂鉊蔵、坪井正五郎、白井光太郎の3名によって向ヶ岡貝塚から1点の完形に近い壺形土器を発見した。 向ヶ丘弥生町の貝塚発見場所から「向ヶ丘貝塚」と命名され、土器は縄文式土器とは異なるものと分かり、「弥生式土器」と命名された。1889年、『東洋学芸雑誌』に報告された(参考文献1)。しかし、有坂や坪井が遺跡の正確な場所についての記録を残していなかったため、「向ヶ丘貝塚」の正確な位置はその後の都市化の中で分からなくなってしまった。 有坂鉊蔵教授は発見の模様を「向ヶ丘という場所は大学の裏門を距てた通りの向かい側で、根津の街を眼下に見る丘であるが、今日では弥生の街が建って遺跡の正確な位置は分かりません」(参考文献2,p,4)「その頃、弥生町という街はなかった。・・・その辺は一面の草原で、当時は家など一軒もなく、兎、雉などがおり、狐が出た寂しいところでありました。この後ろの草原のところで貝塚を見つけました」(参考文献2,p,4)と書いている。 向ヶ丘貝塚は次の三カ所の候補地が推定されている。 ①東京大学農学部東外門(サトウハチロウ記念館付近) ②東京大学農学部と工学部の境 ③根津小学校の校庭内の崖上 しかし根津の町を眼下に見て、不忍池を臨むとされる「幻の向ケ岡遺跡」の位置は、推定されている三地点は崖段から離れていたり、不忍池が見えなかったりするため、適切でないと指摘されている。弥生二丁目遺跡は、文献上からも出土品からも、「弥生式土器発掘ゆかりの地」のある場所が最初の弥生式土器の発見地に近いとする見解が有力である。
弥生二丁目遺跡
1974年に根津小学校の小学生が東京大学工学部9号館脇で土器片や貝殻をみつけた。樹木が倒伏した跡に土器が露出していた。根津の谷に面した丘陵の崖縁に沿う2条の交差する溝を発見し、発掘調査が行われた。1975年、東京大学の文学部考古学研究室と理学部人類学教室が発掘調査を行った。貝層と土器、新しい溝の三者は同一時期に属するものであることが明らかとなり、貝層を構成する貝が鹹水産の貝類からなることが判明した。
出土
1884年に発掘された壺形土器は、東京大学総合研究博物館が保管する。 1975年の調査で、溝から弥生土器5個体、灼骨、砥石が出土した。
規模
不明。
指定
1974年(昭和49年)、東京大学構内の旧浅野地区の発掘調査により、二条の溝と貝層、弥生式土器等が検出された。都心部における弥生時代の数少ない貝塚を伴う遺跡として重要であることが評価され、1976年(昭和51年)に「弥生二丁目遺跡」として国の史跡に指定された。この地(従来の3説の地とは異なる地点)が最有力と言われる。
- 1976年6月7日、「弥生二丁目遺跡」として国史跡に指定
年代測定データベース
弥生二丁目遺跡のデータはない。
弥生式土器発掘ゆかりの地
東京大学の農学部と工学部の境に「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑がある。
- 「弥生式土器ゆかりの地」碑
- 所在地:東京都文京区弥生2丁目11番
- 交通:東京メトロ千代田線「根津」駅より徒歩約3分 東京大学は遺跡解説板を設置した。
文京ふるさと歴史館
- 開館時間:午前10時~午後5時
- 休館日:毎週月曜日、毎月第4火曜日
- 入館料:100円、中学生以下・65歳以上、「友の会」会員の方は無料
- 所在地:113-0033 東京都文京区本郷4-9-29
- 交通:丸ノ内線・大江戸線 本郷三丁目駅または三田線・大江戸線 春日駅から徒歩5分
参考文献
- 坪井正五郞(1889)「帝國大學の隣地に貝塜の跟跡有り」『東洋學藝雜誌』第6巻第88号、東京社
- 渡辺直径(1975)「大学構内向ヶ丘貝塚」東京大学理学部弘報, 7(4), pp.4-6
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