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原の辻遺跡2023年05月20日 23:04

原の辻遺跡(はるのつじいせき, Harunotsuji Site)は長崎県壱岐市の芦辺から石田にまたがる弥生時代中期から後期、古墳時代前期にかけての大規模環濠集落遺跡である。

概要

3重の濠を巡らせた大規模な環濠集落や祭祀建物跡が確認されている。環濠に囲まれた集落遺跡は21万平方メートルに及ぶ。周辺に広がる墓域や船着き場跡を含めた面積は約100ヘクタールに及ぶ。壕の外西北で見つかった船着き場遺構はアジア最古である。 『魏志倭人伝』に書かれている一支国の中核的集落に比定する説として特定されている。一支国の長官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)と呼ばれ、彼らによりクニは統治されていた。弥生時代は今より海面が高く、集落のある丘は海へと繋がる入江に面していた。集落は弥生時代前期に形成され、中期から後期にかけて繁栄し、古墳時代の頃に環濠が埋没して使われなくなった。 年代測定データベースは2100から2150であるため、原の辻遺跡の年代は紀元前100年から150年と推定される。

調査

小学校教員・松本友雄により1904年から1905年にかけて発見された(参考文献1)。 本格的な調査は1951年から1961年の10年間に4回にわたる九学会連合、東亜考古学会による発掘調査であった。それ以降も長崎県教育庁原の辻遺跡調査事務所を中心に調査が継続されている。1993年(平成5年)より行われた大規模調査により、遺跡は三重の濠を持つ巨大環濠集落跡であることが判明した。弥生時代の環濠集落として吉野ヶ里遺跡に次ぐ面積である。

出土

土器・土製品は711点、木器・木製品は114点、石器・石製品は430点、ガラス製品は53点、金属製品が316点、骨角製品は46点が出土している。 都を守るための盾、甲、弓、鏃などの武器が出土した。盛んな交易を示す遺物として、朝鮮系無文土器、楽浪系や三韓系の瓦質土器、朝鮮三国系の陶質土器、中国製の青銅器、鉄器、硝子、翡翠、碧玉の勾玉、古代中国の貨幣、銅鏡残欠などが出土している。日本国内から持ち込まれた畿内・山陰・周防・肥後など西日本各地からの搬入土器も出土している。銅鏡銅剣は、王都として支配する権力者の存在を示唆する。朝鮮系無文土器弥生土器と同じ野焼きの製法で製作されている。瓦質土器は朝鮮半島の国で製作されていた土器である。貨泉は中国で使われていた通貨で、紀元後14年にはじめて造られたお金である。 最古の遺物は板付Ⅱ式である(参考文献2,p.2)。

規模

  • 南北 約750メートル
  • 東西 約350メートル
  • 面積 24ヘクタール

指定

  • 2013年(平成25年)6月19日 国指定重要文化財(美術工芸品)
  • 1997年 国指定史跡
  • 2000年11月24日 国指定特別史跡

年代測定データベース

参考文献

  1. 長崎県教育委員会(2012)『原の辻遺跡』長崎県埋蔵文化財センター調査報告書第5集
  2. 長崎県教育委員会(2020)『原の辻遺跡』長崎県埋蔵文化財センター調査報告書第35集
  3. 長崎県教育委員会(2021)『原の辻遺跡』長崎県埋蔵文化財センター調査報告書第37集

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