銅剣 ― 2023年08月10日 19:52
銅剣(どうけん,Bronze sword)は銅製の剣である。
概要
日本の弥生時代の銅剣は,大陸から輸入された実用的利器と、刃が鈍く扁平でもっぱら祭器として使用された国産品の2種類があった。 日本では縄文時代の石剣、銅剣にかわって、弥生時代中期中ごろに鉄剣に変った。鉄製武器到来までの時期的な差が短いため、銅剣が戦場で使用されていた時期は比較的短じかかったと考えられている。銅剣は九州地方、中国・四国地方などに特に集中分布する。 日本で銅剣が作られ始めるのは弥生時代中期初頭であり、朝鮮半島から銅剣が伝わった直後から日本で銅剣の製作が開始された。当初の製作拠点は有明海沿岸から玄界灘沿岸にかけての地域に集中し、福岡市内では志賀島の勝馬で細形銅剣の鋳型が出土している。
形の変化
日本には弥生時代に 朝鮮半島製の短剣が入った。日本では朝鮮半島の細形銅剣とは異なる独自の形態に変わり、銅剣の使い方は武器から祭器に変化するにつれて本来の銅剣とは全く異なる形へ変化する。 当初は実用武器として使用したものの、しだいに実用を離れて祭祀・儀式用となっていった。
鉄剣
弥生後期中葉頃から終末期の長茎・細茎の長剣等は舶載品であり、短剣は日本列島製が含まれている可能性が言われている。朝鮮半島南部の上位層に副葬されるる長剣・鉄刀等は日本海から日本列島に流通していた(会下和宏(2007))。
形態
形態としては細形銅剣・中細形銅剣・平形銅剣がある。細形銅剣は中国製、中細形銅剣・平形銅剣は国産である。主として瀬戸内海中部から発見される。
出土例
- 伝香川県善通寺市出土
- 平形銅剣で身は薄く、刃は研ぎだされていないなど実用性は失われ、わずかに茎や樋に痕跡が残る。弥生時代に瀬戸内海周辺で盛行する平形銅剣である。弥生時代 前1世紀から後1世紀頃。
- 荒神谷遺跡
- 昭和59年、谷あいの斜面の発掘調査で358本の銅剣が出土した。50cm前後の中細形銅剣で、「出雲型銅剣」と呼ばれる。
参考文献
- 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
- 会下和宏(2007)「弥生時代の鉄剣・鉄刀について」日本考古学14 巻 23 号
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