環濠集落 ― 2023年08月03日 00:19
環濠集落(かんごうしゅうらく, Moated Settlement)は外敵の侵入を防ぐために周囲を柵で囲み、壕を巡らせた集落である。
概要
弥生時代になると人々の生活が安定したが、収穫物や耕作地の水利を巡って集落同志が争うようになる。争いから集落を守るため周囲に深い濠を巡らす「環濠集落」が造られるようになった。農耕が始まった8000年前の中国で環濠集落がみつかっている。 環濠集落がみられるのは、弥生時代、10世紀から11世紀の東方地方、室町から戦国時代の近畿地方(大阪府堺環濠都市、奈良県稗田環濠集落)、に限られる(参考文献1)。 環濠集落は弥生時代の標準的な集落と考えられた時期があったが、藤原哲(2011)は300遺跡を検討し、弥生時代の標準的な集落ではなく、むしろ希少な集落と結論付けた(参考文献1)。
特徴
奈良県では濠の幅は約6~8mが標準。内部に20~30戸の家屋が建ち並び、中心に寺や神社を有している。しかし田原本町の「法貴寺遺跡」では集落の一辺は約50m、濠の幅は2~3mと小規模で、これらが3~4区画集まる。濠の目的は灌漑用水を溜めることで、防御機能は時代の流れに対応して付加されたとみられる。
吉野ヶ里遺跡
吉野ヶ里集落の、東の正門は外壕を埋め立てて土橋を造り、その内側に大きな門を備えていたようである。外壕に7カ所、南北内郭に3ヶ所の入口が確認されている。入口には兵士が厳重な警備をしていたと思われる。外壕で囲まれた範囲は南北1km以上、東西は最大で0.5km以上、面積は約40haである。外壕断面の形態は南西部低地で逆台形となっている以外はV字形である。発掘時の規模は幅2.5~3.0m、深さ2mが一般的で、最大の部分は幅6.5m、深さ3mである。
環濠集落の事例
- 竹内環濠集落 – 奈良県
- 萱生環濠集落 – 奈良県
- 稗田環濠集落 - 奈良県
参考文献
- 藤原哲(2011)「弥生社会における環濠集落の成立と展開」総研大文化科学研究7号, pp.59-81
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