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二子山古墳2023年05月22日 23:14

二子山古墳(ふたごやまこふん)は埼玉県行田市にある古代の前方後円墳である。

概要

埼玉県では最大規模の古墳である。方形の二重周濠をもつ。墳 2つのなだらかな山が連結したような形状が名の由来である。堀に挟まれた中堤は遊歩道となる。 東側裾に観音寺があったことから「観音山」とも言われる。 『五街道分間延絵図(1806)』の「館林道」に観音寺に隣接する「水塚」があり、これが二子山を指すと思われる。 『北部八志(1907)』に、「両子山 又観音寺山とも云う、高さ五丈周圍七八町、是は唯に本村の巳ならず殆んど本國中の 大塚にして之を望むに天然の丘陵の如く車塚の制にして前方公圓壇三也儼然として其形存せり」と書かれる。 堀は「空堀」であったが1968年(昭和43年)の内堀修復工事により「水堀」として整備された。 しかし、その後墳丘の崩落などが続いたため、埋め立てられた。 墳形は稲荷山古墳、鉄砲山古墳と同様に大阪の大仙古墳(仁徳天皇陵)に類似している。稲荷山古墳の1.15倍の相似形である。

調査

昭和42年度から59年度まで4回の調査が行われている。西側中堤外堀側に方形の造り出しが存在する。 トレンチ調査により中堤造り出しと外方を結ぶブリッジを検出した。 昭和42年度調査では、堀状の遺構を確認し、西側くびれ部に造り出しを確認した。埴輪片、須恵器片が出土した。 内堀の底部分で大量の埴輪片が出土した。造り出しの平面は台形であった。埋葬施設は発掘調査されておらず、詳細は不明。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 138m
  • 後円部 径70m 高13m
  • 前方部 幅90m 長68m 高14.9m

被葬者

発掘は未調査で不明であるが、後円部墳頂に直径8m、深さ50cmの陥没穴があり、盗掘を受けた可能性がある。

出土品

埴輪は川西編年のⅤ期に相当する。

  • 円筒埴輪 - 朝顔形Ⅴ式
  • 形象埴輪 – 馬形埴輪、不明形象埴輪、靱、蓋、楯、馬、水鳥
  • 人物埴輪 - 男子、女子
  • 土師器
  • 須恵器 - 器台、壺、甕、堤瓶

築造時期

6世紀の前半と想定される。

棄損被害

古墳を保護するため、墳丘部への立入を禁止しているが、令和5年1月26日(木曜日)に県立さきたま史跡の博物館学芸員が、同古墳の状態を確認するため、墳丘に登った際に古墳の棄損を発見した。墳丘盛土の掘削以外には被害は確認されていない。史跡のき損は文化財保護法に違反する犯罪行為であるため、令和51月26日に警察に通報した。今後正式に被害届を出す予定。掘られた場所付近の地下に埋葬された人が入れられた石室があるとみられている。古墳は、周囲の生け垣に沿って柵をつけて立ち入り禁止としていた。

  • 墳丘の盛土部分のき損(掘削)
    • 墳頂中央部 直径約90㎝、深さ約250㎝ の円形
    • 墳頂東側 縦約120㎝、横約60㎝、深さ約190㎝ の長方形

指定

  • 1938年(昭和13年) 国指定史跡(埼玉古墳群)

アクセス等

  • 名称:二子山古墳
  • 所在地:埼玉県行田市埼玉4834
  • 交通: JR行田駅から市内循環バスで埼玉古墳公園前停留所下車

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
  2. 埼玉県立さきたま資料館(1987)『二子山古墳』埼玉県教育委員会
  3. 埼玉県立さきたま資料館(1992)『二子山古墳 瓦塚古墳』埼玉県教育委員会
  4. なぜ掘った…古墳に大穴 「後円部」に2カ所,埼玉新聞、2023年1月28日

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