Bing

二上山2023年07月29日 10:22

二上山(にじょうさん)は奈良県北葛城郡、金剛・葛城山脈の北端に位置する双耳峰の山である

概要

二上山は雄岳と雌岳で構成され、雄岳の標高は517m、雌岳の標高は474mである。双耳峰で、大阪みどりの百選に選定される。奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山である。2万5千地形図は「大和高田、古市」である。金剛生駒紀泉国定公園の地域である。西側の太子町付近は、古来から「近つ飛鳥」と呼ばれており、陵墓・古墳などの遺構が多く残る。

火山の名残

元は活火山であったが、現在は死火山と考えられている。二上山の火山活動時期は放射年代測定から約1400万年前と推定されている。 雌岳 およびその東部には流紋岩溶岩や流紋岩質岩脈が存在している。雄岳山頂に大津皇子の墓がある。

凝灰岩の産地

古代では二上山から産出する凝灰岩を好んで使用した。 二上山周辺には、火山岩(流紋岩・デイサイト・安山岩・玄武岩)や凝灰岩(火山礫や火山灰の堆積物、火砕流堆積物)がみられる。噴火によって多くの火成岩が分布するが、なかでもサヌカイト・凝灰岩・金剛砂はその後の人類文化の発展に大きく貢献した。 二上山の凝灰岩は、粗い白色の素地に黒い大粒の角礫が混ざることが特徴である。 高松塚古墳の石槨、キトラ古墳の石室、藤ノ木古墳の石棺などに二上山の凝灰岩が使用されている。雌岳山頂ルートの途中に石切場跡がある。

サヌカイト

二上山の北麓から西麓にかけて、旧石器時代から弥生時代までのサヌカイト製石器の原産地遺跡群がある。その流通はほぼ近畿地方全域に及ぶ。

金剛砂

二上山産の金剛砂は鉄分が多く、硬度は6.5~7.5(ダイヤモンド10)と硬いので研磨剤として利用されていた。

大津皇子

雄岳と雌岳が寄り添って並び、 雄岳山頂に大津皇子の墓がある。天武天皇を父に、天智天皇の長女・大田皇女を母にもつ皇子である。謀反の嫌疑をかけられ、24歳の若さで自害に追い込まれた。「大津皇子 二上山墓」と呼ばれ、宮内庁が管理する。 大津皇子には、石川女郎という、愛する女性がいた。あしひきの山の雫に妹を待つとて私は立ちつづけて、山の雫ですっかり濡れてしまったとうたっている。男が女のもとに通う風習があった時代であるが、男が女の来るのを待つことは。

  • あしひきの山のしづくに妹待つと
  • 我れ立ち濡れぬ山のしづくに (万葉集巻二 107)
  • 大津皇子の石川女郎に贈りし御歌 番歌) 辞世の唄と言われる歌は、百年に伝わる磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日を限りとして、私は雲の彼方に去ろうとしている。
  • ももづたふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨(かも)を
  • 今日(けふ)のみ見てや 雲隠(がく)りなむ (万葉集 巻三 416番歌)
  • 大津皇子の死されし時に、磐余の池の堤に流涕して御作たまひし歌 大津皇子は朱鳥元年(689年)10月2日に逮捕され、翌2日に死を賜った。娘鸕野皇女(持統天皇)が草壁皇子の立太子決定後も危険人物とみなしたようである。雲隠るは、敬避表現なので、自分のことでいうのはおかしいので、皇子の周辺人物が辞世の句として伝世したものと考えられている。

アクセス

  • 名称 :二上山
  • 所在地:〒639-0271 奈良県葛城市加守
  • 交通 :近鉄南大阪線「二上山駅」下車、南へ徒歩約15分(約1km)

参考文献

  1. 森本良平,藤田和夫,吉田博直,松本隆,市原実,笠間太郎(1953)「二上山の地質」地球科学1953 巻 (1953) 11 号、pp. 1-12

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2023/07/29/9605677/tb