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樋口清之2023年07月31日 07:59

樋口清之(ひぐちきよゆき、1909年1月1日 - 1997年2月21日)は考古学者、歴史学者である。元國學院大學教授。國學院大學名誉教授、國學院大學考古学資料館名誉館長。 専門は考古学・民俗学。

概要

1909年、奈良県桜井市生まれ。先祖は、織田長益(有楽斎)の旧家。父樋口清二氏は、京都帝国大学を卒業し、各地の師範学校等の校長を歴任した教育者であった。 旧制奈良県立畝傍中学校から1927年(昭和2年)、鳥居龍蔵先生を慕って國學院大學に入学後は、考古学、人類学を学ぶ。1932年(昭和7年)國學院大學文学部国史学科卒業。 中学時代を通じて奈良県各地で採集した考古遺物を基本に博物館の必要性を大学当局に訴えたことによって標本室を獲得し、公開した。上代文化研究会長鳥居龍蔵先生をはじめ、支援者に中川徳治、丸茂武茂、福田耕次郎、雨宮祐、新倉借光、神林淳雄、水野久尚、三木文夫、森貞次郎、江藤千萬樹、長田実がいる。 1934年(昭和9年)から國學院大學予科講師、 1943年(昭和18年)、学生大会の決議で、考古学は不敬の学問ということになり、追放されようとした。 1945年(昭和20年)同大学教授、1946年(昭和21年)学部教授。日本史、考古学概論、考古学特殊講義、文化人類学、自然人類学などを担当し、学問領域の広さと深い学識は多くの学生を魅了した、 1955年(昭和30年)学位論文「日本石器時代身体装飾品について」で國學院大學より文学博士の学位を取得。1957年(昭和32年)4月、國學院大學に博物館学課程を開設した。これは1951年(昭和26年)の博物館法制定に基づき、学芸員制度が設けられたことによるもので、日本で3番目の開講。博物館学講座の開講により、多くの学芸員を輩出した。 1979年(昭和54年)に國學院大學文学部教授を定年退職して名誉教授となる。1981年(昭和56年)國學院大學栃木短期大学学長。1995年(平成7年)に國學院大學栃木短期大学学長を退職、名誉学長。 1997年2月21日、日本大学駿河台病院にて急性腎不全で死去。

業績

人柄

しゃべる博物館と評される博識で知られる。大山史前学研究所で甲野勇・宮坂光次、東大人類学教室では松村瞭・八幡一郎、そして先生の先輩としては大場磐雄、さらに杉山寿栄男・後藤守一らの指導を受けた。当時東京高等師範学校には、三宅米吉校長、帝室博物館には高橋健自を訪ねた。特に高橋健自は畝傍中学校の元教諭だったことから、親しく温かく迎えられた。昭和4年には、小金井良精から1年間にわたり解剖学教室で組織解剖や計測の講義を受け、日本考古学会の例会に毎月山上御殿に出かけた。

参考文献

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