生口 ― 2023年12月29日 21:23
生口(せいこう)は贈与交換用の捕虜を起源とする奴隷とされる。
概要
『後漢書』東夷伝に「安帝の永初元年(107年)、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ請見を願う」と書かれる。さらに『魏志倭人伝』に行者に吉善あらば、共に、その生口、財物を顧す(若行者吉善 共顧其生口財物)、239年(景初三年)の卑弥呼の献使では「汝が献ずるところの男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈を奉り以って到る」(奉汝所獻 男生口四人 女生口六人 班布二匹二丈以到)と男女の生口10名を献上した。 なお『魏志倭人伝』の版本には238年(景初二年)と書かれるが、こは誤りであることは、「卑弥呼の使者派遣時期」の参照をお願いしたい。
243年(正始4年)にも倭王は「使者の大夫伊聲耆、掖邪狗等八人を派遣し、生口や倭の錦、赤、青の目の細かい絹、綿の着物、白い布、丹、木の握りの付いた短い弓、矢を献上した」が、生口の人数は不明である。次の女王である壱与は「臺に詣り、男女の生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雑錦二十匹を貢ぐ」(因詣臺 獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹)と書かれる。
合計4回生口を皇帝に貢いでいる。1回の献上で107年には160人、238年には10名、243年には30名、250年頃には30人を献上している。班布や錦、白珠と同列の扱いであるから、物扱いであった。
生口の解釈
生口の意味についてこれまで研究者により様々な解釈がなされてきたが、整理すると次のパターンになる。
- (1)生口は未開人の意味とする(市村瓚次郎)
- (2)奴婢の意味とする(市村瓚次郎)
- (3)動物の意味とする(市村瓚次郎)
- (4)捕虜説(沼田頼輔)。異国人の俘虜説(牧健二)
- (5)日本人とは異なった異種族の捕虜(波多野承五郎)
- (6)倭人特有の特殊技術として潜水捕魚鰒者(橋本増吉)
- (7)在外研究員・外国留学生(中山平次郎)
- (8)奴婢一般と区別される性質をもち、財物視されていた人々(原島礼二)
- (9)大人・下戸・奴婢・生口の四階層で、生口は社会的地位は最も低く、奴隷階層(広淇)
- (10)倭の特産とての献上品(沈仁安)
- (11)人権の喪失者として家畜と変わりない(日野開三郎)
- (12)生口は捕虜を意味すると同時に奴婢の意味を併せ持つ(佐伯有清)
- (13)捕獲された非戦闘員あるいはなんらかの事情って他の権力機構に隷属せしめられた人々で奴婢とは区別する(笠井倭人)
中国での「生口」の意味
中国、漢代の思想書『論衡』の恢國に「匈奴時擾,遣將攘討,獲虜生口千萬數」とある。これは匈奴と戦い、千万の人数の生口を捕らえたという意味である。数が多いのは戦争捕虜のためであろう。
『漢書』には「捕生口虜」(竇田灌韓傳)、「捕得生口」(李廣蘇建傳)、「捕得生口」(西域傳上)などの文脈で登場する。『後漢書』において、匈奴や鮮卑など「生口」は漢族からみた異民族(漢民族ではない民族)であった。
『三国志』では戦闘や済南の黃巾(魏書呂虔伝)や武陵の蛮夷などもあり、生口は牛馬と同様に売買される対象であった。南北朝期では生口を対象とした投機的な売買が行われていた。湖南省長沙市走馬楼で出土した三国・呉代の竹簡と木牘では生口を売買した記録がある。
奴婢の成因
劉偉民は奴婢の成因(発生原因)について、争俘虜・・犯罪による没入・困窮と質にる身売り・脅迫および略奪などの理由をあげている。職掌については農耕・労務(水利・築城・運輸・殯葬・雑役・販売・偵察・倉庫管理など)・軍事(兵および指揮)・娯楽(楽舞などをあげ、そのため奴婢の技能は歌舞・文章作成・技工・武芸をあげる。必ずしも単純労働だけではなかった。
結論と課題
生口は総合的に考えれば、戦争等での捕虜に起因した奴隷と考えるのが合理的と結論する。 理由は、班布・錦・白珠と同列にもの扱いしていること、男女の生口がいること、から判断できる。 倭国乱に見られるように、弥生時代は地域的な戦乱が多かったと考えられる。戦乱があれば、負けた方は奴隷になることは、中国の例もあるから不思議ではない。 検討課題としては
- (1)奴婢と生口は同じであるか、異なるか。
- (2)生口は異民族であるか、同じ民族か。
- (3)生口は古墳時代には見られなくなったとすれば、いつ頃なくなったのか。
- (4)生口は、日本でも売買されたのか。
などである。『魏志倭人伝』において生口は「もの扱い」とみえるから、売買対象であっても不思議ではない。中国では売買事例があっても、倭国では証拠がない。
参考文献
- 劉偉民(1975)『中国古代奴隷制度史─由殷代至両晋南北朝─』龍門書店,pp.274-294
- 牧健二(1962)「第二・三世紀における倭人の社会」史林45(2)、pp.159-194
- 門田誠一(2019)「魏志倭人伝にみえる生口の検討」歴史学部論集 9、佛教大学歴史学部,pp.1-20
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