港川遺跡 ― 2024年08月24日 01:07
港川遺跡(みなとがわいせき)は沖縄県八重瀬町にある旧石器時代の遺跡である。 「港川フィッシャー遺跡」とも言われる。
概要
港川遺跡は沖縄島南海岸に流れる雄樋川河口・右岸の標高20~30mの石灰岩台地に形成された遺跡である。港川フィッシャーと呼ばれる石灰岩の構造的な裂け目で旧石器時代の人骨が見つかった。約1万8000年前のものと推定される化石人骨である。 見つかった割れ目は幅1m、深さ20m、長さ数百メートルである。 八重瀬町指定史跡となっているが、指定理由は次の通りである。
- 港川人が出土した
- 絶滅動物を含む化石が出土している
- 縄文時代からグスク時代にかけての生活遺物が発見されている
- 石材産地として近代化産業の発展に寄与した
港川遺跡は私有地であるが、所有者の好意により資料館へ事前手続きを行った希望者のみ見学が可能である。
調査
1970年8月から12月にかけて、フィッシャー内の深さ約20m地点から4体分の全身骨格を含む人骨群を発見した。人骨とともに回収された木炭の放射性炭素年代測定が行われ、18,250±650 14C BP(TK-99)、16,600±300 14C BP(TK-142)の年代値が得られた。これによって、人骨が旧石器時代のものであることが確認された。具志頭村(現八重瀬町)教育委員会により発掘調査が実施され、約9000年前の土器や港川人の時代の動物化石など貴重な資料が発見された。
人骨
1号人骨は男性、2号人骨~4号人骨は女性である。男性の推定身長は150~155㎝と小柄であった。女性は推定145cmであり、縄文人より低い。顔面構造は頑丈であった。全身の体型は胴長短足である。考古学的には後期旧石器時代であり、人類進化史では新人(ホモサピエンス)である。 見つかった人骨は東アジアで最も良好な化石人骨標本として知られる。1号人骨として知られる男性人骨は全身骨格が揃っている貴重な資料として東京大学博物館で保存されている。
DNA分析
東邦大学などの研究チームによる論文が2021年6月13日、英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された。1号人骨(成人男性)の右 大腿だいたい 骨から試料を採取し、国内の旧石器人骨として初めてミトコンドリアDNAの塩基全配列の解読に成功し、これを沖縄や本土の10遺跡で出土した縄文、弥生時代の人骨と、現代人約2000人分のデータと比較した。港川人は「M7a」「D4」を含む広義の「M」に分類でき、アジア人の祖先の集団に属していたものの、縄文人や弥生人、現代日本人のいずれとも特徴が異なり直接の先祖ではないことが判明した。
遺構
遺物
指定
- 平成28年7月5日 八重瀬町指定史跡
展示
- 八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館
考察
アクセス
- 名称:港川遺跡
- 所在地:〒901-0511 沖縄県八重瀬町港川具志頭352
- 交 通:路線バス : 港川(具志頭村)バス停から徒歩約5分
参考文献
- 「旧石器時代の「港川人」、現代日本人と直接つながらず」読売新聞、2021/06/14 14:28
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