城の山古墳 ― 2026年06月14日 00:39
城の山古墳(じょうのやまこふん)は新潟県胎内市に所在する古墳時代前期の円墳である。地元では「ひと籠山」「大塚山」と呼ばれてきた。
概要
現在確認されている日本海側最北の古墳時代前期の古墳である。胎内市の南端、新発田市との市町村界にあり、胎内川の扇状地扇端部に立地する。東西41m・南北35mで平面形はやや楕円形を呈する円墳であり、高さは5mとなる。周濠は確認されていない。新潟県内では古津八幡山古墳(約60m)、菖蒲塚古墳(約35m)に次ぐ規模である。ヤマト政権との深い関わりを示す多くの副葬品が出土したことで知られる。 埋葬施設は、墳頂部に掘られた長さ約10.5m、幅約5.2mの墓壙内に納められた刳貫式の舟形木棺である。
副葬品
銅鏡として盤龍鏡(径約10cm、縁厚6mm)、武器として大刀、靫、両頭金具、漆塗りの黒弓、赤弓、銅鏃6点、本矧3点、末矧4点が出土した。木製品として漆塗製品、工具として鉇(ヤリガンナ)、板状鉄斧、刀子、装飾品として翡翠製勾玉、石製管玉、ガラス製小玉などが出土している。 銅鏡は舶載鏡で、紐孔に紐を通したまま少なくとも2枚の着色された平絹に包まれ、表面に赤色顔料が塗布されていた。 両頭金具は弓に取り付ける鉄製の金具で発掘時点では日本最古の出土品となった。菱形紋靫は出土例が少なく、滋賀県以北では当時において初めて確認された例であり、靫は3具がまとまって出土したことは珍しい。革製靫は表面に漆が塗られており、刺繍によって飾られた表面の菱形紋様が残る。
城の山古墳の評価
多くのものが日本列島最北の出土品となる。武器(弓矢)・装飾品(玉)・工具を組み合わせた副葬品構成は、畿内の前期古墳に典型的な例と共通する。このような副葬品の組み合わせは、被葬者とヤマト政権との密接な関わりを想定させるものであり、ヤマト政権の北国政策の一端を示すものとして重要となる。奥山荘歴史館(新潟県胎内市あかね町107-10、JR羽越本線 中条駅駅から 徒歩10分)に出土品が展示される。
発掘史
1952年、当時は「700年前の大豪族城氏の墳墓」と紹介された。1997年の第一次調査で湿地を埋め立てて造られた楕円形の大塚を確認した。2005年4月から6月、第二次調査で出土品から4世紀前半に築造された古墳と推定された。棺の存在が確認され、墳丘の上から土器200片以上が出土した。2006年、第三次調査として確認調査を行った。2010年5月から8月に第四次調査で墳頂部平坦面の調査を行った。同年9月から11月に第五次調査としてトレンチを入れた。2012年、第六次調査で棺内の全面調査を行った。2013年、城の山古墳が胎内市指定文化財に指定された。2019年、文部科学省告示第20 号において、城の山古墳の史跡指定が告示された。
指定
- 2013年(平成25年) 胎内市指定史跡
- 2019(平成31)年2月 国指定史跡
アクセス
- 名称:城の山古墳
- 所在地:新潟県胎内市城塚187
- 交通: JR羽越線中条駅で下車後、タクシー6分/徒歩43分
参考文献
- 胎内市教育委員会(2020)「史跡城の山古墳保存活用計画」
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