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六反田南遺跡2026年06月18日 00:11

六反田南遺跡(ろくたんだみなみいせき)は、新潟県糸魚川市に所在する縄文時代の集落遺跡である。

概要

日本海から直線距離で約200mの海川下流の右岸、標高3から6mの沖積地に立地する。 集落廃絶後、約1mに及ぶ洪水堆積層に覆われたため、遺構・遺物は良好な状態で保存された。さらに各生活面の間にも厚い洪水堆積層が形成されたことで、縄文時代の集落跡が層位的にも極めて良好に残された。 上層・中層・下層の3つの生活面が確認され、それぞれから生活の痕跡が検出された。大規模な廃棄域(ゴミ捨て場)が見つかっている。大量の遺物が出土した廃棄域の周囲に長さ50cmを超える大型の礫を中心に列石が作られていた。列石は廃棄域と居住域を区画する施設とも考えられるが、縄文時代の祭祀に伴う記念的施設とする見解も示されている。石器の石材のほとんどは、遺跡から直線で約2kmの所を流れる早川産の玢岩(ひん岩)で、西に約5㎞離れた姫川産の砂岩も含まれる。石器の中でも、とくに磨製石斧の未成品(製作途中品)が大量に出土しており、石斧製作が行われていたことを示す資料として注目される。 土器は石川県や富山県を分布の中心とする新崎式、上山田式・天神山式土器を主体として、東北系・越後系が見られる。

遺構と遺物

遺構としては土坑、炭化物集中、溝、ピットが見つかっている。遺物は縄文土器(新崎式、上山田、天神山式、大木7から8a式、中部高地系)、土偶、ミニチュア土器、耳飾、石鏃、石匙、石錐、不定形石器、打製石斧、打製石斧未成品、磨製石斧、磨製石斧未成品、スクレイパー、鋸歯縁石器、敲磨石、砥石、石皿、石核、貝殻状剥片、石製垂玉、円盤状石製品、石棒未成品、動物遺存体、植物遺存体が出土した。

放射性炭素年代測定(2013 年度)

た竪穴建物に伴う柱根や敷物とされる炭化物、焼失住居とされる竪穴建物から出土した建築部材と考えられる炭化材、Ⅶ層及びⅦ層上面に確認された立木、市道2区下層で確認された立木などの計12点について放射性炭素年代測定を行った。 12試料はいずれも較正暦年代でcalBP 5,308~4,085の範囲に収まり、縄文時代中期前葉から後期前葉頃に相当する。縄文時代中期前葉から後期前葉頃までの年代に相当する。

磨製石斧の未成品

磨製石斧の未成品が大量に出土することは専門的な石器生産の分業化を示す証拠との説がある。村人各自が自給自足で作っていた段階から、生産の専門化・分業化が進んだと見ることが出来る。さらに原料石材の産地から遠く離れた遺跡で未成品が大量に出土する場合は、石材の原石や粗い加工段階(半製品)の状態で長距離を運搬・交易してしていた可能性が高い。広域な交易と石材流通ネットワークの解明が必要となる。磨製石斧は、主に木の伐採、丸木舟の製作、土地の開墾など本格的な環境改変などに用いられる最も重要な工具である。 多くの完成品を消費する集落の出現や活動(計画的な森林伐採など)が存在したと見られる。

アクセス等

  • 名称:六反田南遺跡
  • 所在地:新潟県糸魚川市大和川字六反田1195
  • 交通:梶屋敷駅から徒歩25分。

参考文献

  1. 新潟県教育委員会(2018)「六反田南遺跡Ⅵ」

帯金具2026年06月18日 22:12

帯金具(おびかなぐ)は古墳時代から律令期にかけて東アジアで用いられた腰帯の装飾・留め具の総称であり、中国・朝鮮半島・日本から多くの出土例が知られる。革や布製の腰帯に取り付けられ、金属製を中心とする。

概要

中国では戦国時代に帯留金具としての帯鉤が普及した。魏晋南北朝時代には北方騎馬民族の胡服の流入とともに帯を金具で飾る風習が定着した。 古墳時代から律令期にかけての日本では、布や皮革製の帯に各種の帯金具が取り付けられた。飾り金具には銙板、銙帯金具がある。端には銙具、尾錠をつけ、もう一方には帯先金具、鉈尾をつける。出土時は帯の本体は腐朽しており、帯金具だけが残る。 朝鮮半島の新羅では唐草文の帯金具が主流だが、中国の帯金具の影響を受けた竜文透彫り帯金具も新羅で製作された。銙板には方形、長方形、宝珠形がある、垂飾や鈴が付くものが多い。

素材

金具は金銅製が多く、中には銀製もある。古墳時代の日本列島では、4世紀中葉と末に加耶地域との交流を通じて中国の晋式帯金具が、5世紀中葉から後半には新羅の竜文帯金具がもたらされている。ただ、日本で帯金具が本格的に普及したのは、律令期に金属製や石製の銙を取り付けた銙帯(かたい)が役人の服制として採用されて以降である。

装飾

透彫り文様は、龍文、虎文、鳳凰文、唐草文などがある。精巧なものが多い。帯の幅は3cm前後で、帯金具は約10個が間隔を空けて装着されていたと考えられる。

出土例

  • 龍文透彫帯金具 - 稲荷山古墳第1主体(礫槨)出土、埼玉県行田市、埼玉県立さきたま史跡の博物館
  • 青銅製の帯金具 - 穴太遺跡、滋賀県大津市下阪本、9世紀後半~10世紀

参考文献

狐塚古墳 (世田谷区)2026年06月18日 22:13

狐塚古墳 (世田谷区)(きつねづかこふん)は、東京都世田谷区に所在する古墳時代後期前半(6世紀前半)に築造されたと考えられる円墳である。発掘調査では「西岡12号墳」の名称でも呼ばれる。

概要

多摩川沿いの国分寺崖線の台地先端部に立地する。直径約31メートル(周溝幅を含む)、高さ約4.6メートルの円墳である。野毛古墳群に属し、その中心的古墳である野毛大塚古墳に近接する。

規模

現在確認できる墳丘は約31m(周溝を含む)であるが、『新修世田谷区史』の記載では20~30m、発掘調査者による復元推定では約40mである。 『新修世田谷区史』(1962年)によれば、1932年に田園都市会社により墳丘一部が削られ、土器片が採取されたという。しかも直径20mから30mの円墳で円筒埴輪が二重に巡ると書かれる。かつて古墳の頂上には稲荷社の小さな祠があったため、狐塚古墳と呼ばれる。野毛古墳群を構成する古墳の中では、築造時期が最も新しい段階に属すると考えられている。現在は「世田谷区立狐塚古墳緑地」として保全されている。

調査

2013年までに3回の調査が行われた。第一次調査は1978年(昭和53年)2月10日から2月22日まで。1978年の調査時に墳丘から埴輪の破片が出土し、築造時期は古墳時代後期前半(6世紀前半)と見られる。東西両側が道路により削平され、南北両側は人家により切られており、現在の墳丘は東西34m、南北30mの範囲が残存するが、『新修世田谷区史』の築造当初は直径約40mの円墳であったと推定されている。 第二次調査は2007年(平成19年)2月19日から3月20日までであった。縄文時代の土器・石器、古墳時代の土師器が出土した。地中レーダ探査を実施した。地中レーダ探査では埋葬施設は確認されず、構造は明らかになっていない。 第3次調査は2012年(平成24年)7月17日から10月31日に行われた。周溝は確認できなかったが、盛土量から幅8メートル、深さ2メートル前後と推定されている。1932年(昭和7年)の区画整理で、墳丘の大部分が削平されているため、帆立貝式古墳または造出部付円墳の可能性は確認できなかった。出土した土器は須恵器型式「TK23型式」段階と見られた。出土土器「TK23型式」は5世紀後半の土器とされる。 縄文土器は五領ヶ台式、阿玉台式、撚糸文系土器、諸磯式土器が出土した。

規模

葺石 なし

埴輪 あり

遺構

遺物

  • 縄文土器
  • 弥生土器
  • 土師器

築造時期

  • 5世紀後半

展示

指定

アクセス等 

  • 名称  :狐塚古墳
  • 所在地 :東京都世田谷区尾山台2丁目17番10号
  • 交 通 :東急大井町線尾山台駅 から徒歩約10分

参考文献

  1. 世田谷区教育委員会(1980)「根津山遺跡・狐塚古墳他」