午戻遺跡 ― 2024年01月16日 00:00
午戻遺跡(うまもどいせき)は、佐賀県伊万里市にある弥生時代中期中頃から弥生時代 終末期にかけての遺跡である。
概要
主な遺構は弥生時代中期中頃(紀元前1世紀頃)から弥生時代終末期(3世紀頃)にかけての墓群である。石棺墓から青銅鏡1面、鉄小刀1点、鉄鎌1点、ガラス小玉1点が検出された。鏡は後漢時代頃の中国製で、ほぼ完形であった。直径19.74cm、平縁(ひらぶち)幅1.08cm、厚さ0.44cmで、内側に向かい櫛歯文帯、雲雷文帯、櫛歯文帯、8個の連弧文帯、平頂素圏、偏平な四葉座、円鈕がある。四葉座の間に「長宜子孫」の銘文があるため長宜子孫銘連弧文鏡とされる。連弧文鏡は代表的な後漢鏡であることから、本鏡は1世紀後半から2世紀前半に位置付けされる舶載青銅鏡である。
位置づけ
弥生時代の中国製の完鏡は、有力者の権威の象徴であるから3世紀ごろの伊万里地方に王がいた可能性の意見もあるが、鏡1面だけでは伊都国などに比べてもかなり貧弱ともいえる。また 伊万里湾岸の弥生期の遺跡にはほかに土井頭遺跡(同市黒川町)、小物成遺跡(同市大坪町)、小島古墳(山代町)、銭亀古墳・夏崎古墳(同市東山代町)等がある。
遺構
- 遺物包含層
- 墓群
- 小穴
遺物
- 青銅鏡
- 青銅鏡片
- 鉄器
- 玉類
- 縄文土器
- 石器
- 弥生土器
指定
時期
アクセス
- 名称:午戻遺跡
- 所在地:佐賀県伊万里市大坪町字午戻・字辻の前
- 交 通:
参考文献
甕棺墓 ― 2024年01月16日 18:11
甕棺墓(かめかんぼ)は弥生時代の前期に登場し、土器に亡くなった人の手足を折り曲げて甕棺に入れ、土の中に埋める埋葬方法である。
概要
弥生時代の北部九州を中心とする地域に多く分布する。大型の素焼きの土器を使用する。多数集合した共同墓地を形成している。衣服の一部の絹織物片、毛髪、管玉、勾玉、鉄製品などが副葬されている。副葬品の違いから階級社会が推定されている。200年間、盛んに使われていた。埋葬用に専用の大型土器(甕)を制作する。
- 目的 甕棺に埋葬すると骨がよく残るため、死後の再生を願うことから、甕棺墓が普及した。甕棺では遺体を屈曲させる屈葬となる。
支石墓との違い
支石墓は弥生時代「前期」の墓で、甕棺墓は弥生時代前期から後期の埋葬方法である。 支石墓は箱式石棺や土壙などの埋葬施設を設け、その上に大きな石を置く埋葬方法である。大石を支えるために石(支石)を置くことから支石墓と呼ばれる。 支石墓は巨大な蓋石を数個の塊状の石(支石)で支え、その下に埋葬部を作るものである。朝鮮半島からの影響が明らかにあらわれる。
埋葬法
単棺と合口棺とがある。前者は1つの甕に石蓋、土器や木蓋などで蓋をする、後者は2つの甕を開口部で合わせたものである。
出土例
- 甕棺墓群「甕棺ロード」- 吉武高木遺跡 福岡市西区大字吉武
- 安国寺甕棺墓群 - 福岡県久留米市山川神代
- 甕棺墓 - 須玖岡本遺跡 弥生時代中期前半(紀元前150年頃)
参考文献
- 藤尾慎一郎(1988)『九州の甕棺: 弥生時代甕棺墓の分布とその変遷』国立歴史民俗博物館研究報告第21集
- 吉井秀夫(1991)「朝鮮半島錦江下流域の三国時代墓制」史林 74巻1号,pp.63-101
- 鏡山猛(1939)「我が古代社会に於ける甕棺葬」史淵 21,pp.83-123
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