坪井・大福遺跡 ― 2024年01月19日 00:36
坪井・大福遺跡(つぼい・だいふくいせき)は、橿原市常盤町・東竹田町から桜井市西部の大福にかけて広がる縄文時代晩期から古墳時代前期の複合遺跡である。 以前は「大福遺跡」と「坪井遺跡」である。
概要
奈良盆地の東南部、寺川と米川に挟まれた沖積低地で標高62m複合扇状地上に立地する。 橿原市北東部の坪井遺跡と、桜井市北西部にある大福遺跡はそれぞれ単独の遺跡と考えられてきたが、環濠集落は大福遺跡と坪井遺跡を包含したものであることが判明したため、 「坪井・大福遺跡」と命名された。坪井地区は寺川の左岸に位置し、標高は約65mである。しかし坪井遺跡から南東にある大福遺跡の一部(大福小学校地区)は、現在も坪井・大福遺跡とは区別して「大福遺跡」と呼ばれる。
調査
2号方形周溝墓の周溝内に銅鐸埋納土坑があった。埋納坑は長径58cm、短径25cm、深さ18cmで、銅鐸は鰭を上下に立って納めている。坪井遺跡の7次調査で土器、石器、木製品、獣骨などの大量の遺物のほかに、人物などが描かれた絵画土器、有柄式銅剣を模してつくられた木製の柄頭などが出土した。弥生時代中期の鳥装の人物を描いた絵画土器や漆塗木製把頭、古墳時代前期の木製短甲などが出土。
木棺墓
第7次調査において、弥生時代前期末の木棺墓が2基検出された。伸展葬は20代男性、下腿骨屈葬は30歳代の男性。棺底と側板がよく残っていたため、近畿地方で弥生時代前期の棺の構造がよく分かる遺構である。
人物線刻画土器
坪井遺跡出土の人物線刻画土器である。破片であるが、ヘラなどによって鮮明に目、鼻などが描かれている。長辺約12センチメートル、短辺約8センチメートル、厚さ約0.9センチメートルで、弥生時代中期である。
木製柄頭
弥生時代中期の大溝から出土した木製品で、朝鮮製の有柄式銅剣を模したもの。流水文、直線文、山形文の文様などを浮彫し、赤漆を使用する。
遺構
第一次 弥生前期から古墳前期
- 河川
- 溝
- 土坑
- 井戸
- 柱穴
- 土器棺墓
第5次 縄文+弥生中期から後期
- 土坑
- 大溝
- 溝
- 土器棺墓
遺物
- 人物線刻画土器
- 突線鈕1式銅鐸
- 銅鐸形土製品
- 銅鏃
- 土器
縄文晩期
- 縄文土器
- 石器
- 土偶片
- 石刀
第1次
- 弥生土器
- 土師器
- 須恵器
- 石器
第2次
- 弥生土器
- 土師器
- 須恵器
- 石器
- 木製品
- 動物遺存体
第5次
- 縄文土器
- 弥生土器
坪井遺跡
- 弥生土器
- 石器
- 硬玉製勾玉
- 土器器
- 須恵器
- 木製
- 短甲
指定
時期
展示
- 橿原市歴史に憩う橿原市博物館
アクセス
- 名称:坪井・大福遺跡
- 所在地:奈良県桜井市大福637 / 奈良県橿原市常盤町
- 交 通:
参考文献
- 露口真広(2000)「坪井・大福遺跡(坪井地区第14次)の調査」(『かしはらの歴史をさぐる 8』橿原市千塚資料館
- 川部浩司/横関明世(2005)「大藤原京左京北四条三・四坊 坪井・大福遺跡」(『平成15年度橿原市文化財調査年報』奈良県橿原市教育委員会
- 佐々木好直(1982)『坪井遺跡発掘調査概報』。
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