Bing
PVアクセスランキング にほんブログ村

高蔵遺跡2025年02月11日 00:30

高蔵遺跡(たかくらいせき)は、弥生時代から古墳時代にかけての墳墓や住居跡が中心であるが、長期的には縄文時代から中世までの遺構や遺物が検出される複合遺跡である。

概要

南北約 800m、東西約 600mの範囲に広がる大規模な遺跡である。名古屋鉄道・東海旅客鉄道・名古屋市交通局の金山駅から南東に750m(11分)前後の場所である。高蔵遺跡の南西に大型前方後円墳の断夫山古墳や白鳥古墳がある。尾張地方の弥生時代後期の代表的な赤彩土器「パレススタイル土器」発祥の地として知られる。弥生時代を通じて尾張における台地上の拠点的な集落であったと見られる。

調査

初期は1898年(明治31年)、斉藤恒による石鏃採集の報告がある。1907年(明治40年)、鉄道開通工事の際に多数の土器が見つかった。1953年と1956年に南山大学が調査し、弥生時代前期の壺形土器や弥生時代後期_壺形土器(山中式、パレススタイル)が出土した。南山大学の1985 年の調査では、弥生時代前期の環濠集落、後期の方形周溝墓を検出した。第8次調査では弥生時代のパレス形壺、第9次調査では弥生土器、須恵器、石製勾玉を検出した。第17・19・25 次調査地点では埴輪や須恵器を伴う方墳の周溝がみつかり、第40 次調査区では弥生土器を伴う方形周溝墓の周溝が検出された。第61 次調査では、方形周溝墓あるいは古墳の周溝と考えられる溝や多数のピットなどを検出した。第62 次調査では、縄文時代の土坑1 基が検出され、縄文土器片1 点が出土した。第63次調査では弥生時代後期の山中式壺、溝と土坑から、主に弥生時代後期の土器が出土した。

縄文時代

旧石器・縄文時代の遺物は出土するが、生活の状態は不明である。

弥生時代

第60次発掘調査では環濠集落が検出された。また貝塚が形成されるなど海を利用した活動があった。弥生時代後期の赤く塗られたパレススタイル(宮廷式)土器が特徴となる。

古墳時代

古墳時代の5世紀から6世紀前半頃に高蔵遺跡に方墳が作られ、近隣に断夫山古墳や白鳥古墳が築かれる。有力豪族がいたとみられる。

遺構

  • 土坑
  • 竪穴住居
  • 焼土
  • 溝状遺構

遺物

  • 弥生土器
  • 土師器
  • 須恵器
  • ダ龍文鏡 第34次
  • 刻画土器 第39次

アクセス等

  • 名称:高蔵遺跡
  • 所在地:愛知県名古屋市熱田区外土居町/愛知県名古屋市熱田区五本松町208-3
  • 交通: 金山駅から徒歩11分(750m)

参考文献

  1. 名古屋市教育委員会(2021)「埋蔵文化財調査報告書92」埋蔵文化財調査報告書92
  2. 名古屋市教育委員会(1996)「埋蔵文化財調査報告書32」埋蔵文化財調査報告書25
  3. 安西工業株式会社(2024)「高蔵遺跡第63 次発掘調査報告書」

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2025/02/11/9753727/tb