横瀬古墳 ― 2026年07月20日 00:05
横瀬古墳(よこせこふん)は鹿児島県曽於郡大崎町に所在する古墳時代中期(5世紀半ば)の前方後円墳である。埴輪が確認されている前方後円墳としては日本最南端に位置する。大塚山古墳とも呼ばれる。
概要
志布志湾の海岸線から約1km内陸に入った標高約7mの沖積低地に築かれている。墳長 134mであり、鹿児島県内では唐仁大塚古墳に次いで、墳長で第2位の古墳である。畿内系土器や埴輪の出土から、畿内地域との交流を示す古墳として注目されている。 1824年(文政7年)の『大崎名勝誌』に記載されている古墳である。1902年(明治35年)頃に盗掘被害を受け、直刀・甲冑・勾玉類などが出土したと伝えられる。 江戸時代には石棺が露出していた。出土品は町中央公民館資料室に展示される。その後の調査では周濠の存在も確認されている。墳丘や濠から畿内地方の土器が出土した。墳丘周囲には周濠(盾形か)が巡らされている。滑石製品や5世紀後半から6世紀初頭の須恵器も出土している。
調査
2010年(平成22年)および2011年(平成23年)にトレンチ調査が実施された。甕、円筒埴輪、形象埴輪が出土した。外濠が作られていることが判明した。本格的な発掘調査は行われていない。後円部の中心よりやや前方部よりに竪穴式石室が露出する。 前方部は神社建設により一部破壊される。後円部頂は耕作により削平された。12 月に横瀬古墳を中心として,2010年12月には横瀬古墳周辺で地中レーダー探査が実施された。トレンチ調査が困難であった地点では土壌サンプラーによる調査を実施した。地中レーダー探査の結果,横瀬古墳の周溝の位置を概ね把握できた。調査により周濠の存在が確認され、盾形周濠である可能性や二重周濠であった可能性が高いことが示された。鹿児島県教育委員会による周濠確認調査では、周濠の埋土から葺石と考えられる石材は確認されず、墳丘上にも葺石の痕跡は認められなかった。
規模
- 前方後円墳
- 築成 前方部:1段、後円部:1段
- 墳長 134m 内濠墳丘側壁面の下端間
- 総長 192m 南北の外濠の掘り込み上端間
- 後円部 径72m 高9.1以上
- 前方部 幅82m 長61m 高8.5m
- 外表施設 円筒埴輪 円筒・朝顔形Ⅳ式
- 形象埴輪 楯・草摺、馬・水鳥、武人
- 葺石 なし
- 主体部室・槨 竪穴式石槨
築造時期
5世紀半ばの築造とされている。
被葬者
被葬者は中央政権と結びつきのある権力者と推測されている。
指定
- 1943年(昭和18年)9月8日、国の史跡に指定。
出土品
アクセス等
- 名称:横瀬古墳
- 所在地:〒899-7304 鹿児島県曽於郡大崎町假宿1029 番地
- 交通: 鹿児島交通バス 大崎三文字バス停から徒歩で35分2.2Km
参考文献
- 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
- 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
- 鹿児島県大崎市教育委員会(2016)『横瀬古墳』
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2023/05/26/9589373/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。