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山元遺跡2023年12月15日 23:15

山元遺跡(やまもといせき)は新潟県村上市にある弥生時代後期の環濠集落遺跡である。

概要

新潟県北部の丘陵の上に営まれた弥生時代後期(今から1,900年前)に最盛期を迎える集落跡である。高速道路の建設に先立つ調査で見つかり、重要な遺跡であることが分かったため、現状保存された。遺跡は最高所で標高約40m,周囲との比高36m前後に位置する。 遺跡面積は2万m2に及ぶ。 比高約6mの谷を隔て居住域と墓域から成る。丘陵頂部の居住域に幅2m弱,深さ1m,断面逆台形の溝がめぐり,その平坦面では掘立柱建物・竪穴建物各1基を検出した。土坑墓の近くから確認された筒形銅製品の破片は弥生時代の青銅器の最北事例である。現時点で日本海側最北の高地性環濠集落である。山元遺跡の濠は規模が小さく、所々で濠が途切れるなど防御はあまり厳重ではない。 本遺跡から出土した石器(剥片類を含む)・石製品は518点に及んだ。剥片類を除く種別では不定形石器が最も多く、石鎌がこれに次ぐ。礫石器では磨石類が最も多い。弥生時代の石器は全国的な集成が進み[国立歴史博物館1997など]、後期には石鉄が残存するものの、剥片石器が減少することから鉄器化が進んだと解釈が提示される。石器組成では、本遺跡は狩猟具・武器12.3%、調理具6.4%、加工具が80.8%となり、圧倒的に加工具が多い。

土器

出土した土器の多くは東北南部に広がる天王山系弥生土器であるため、この遺跡は東北の弥生文化圏に包含されていると理解できる。出土した天王山系弥生土器のひとつは口径25cm、高さ35cmの深鉢土器で、環濠の底付近から出土した。内面にコゲが観察できることから、調理用の土鍋として使われたと考えられる。

ガラス小玉

土壙墓の西側から完成品のガラス小玉68点がみつかった。出土場所から身に着けて埋葬された可能性が高い。直径0.3cmから0.6cm、厚さ0.2cmから0.4cm、直径0.1cmから0.2cmで、小玉の穴に紐を通して、首飾りにしたものと推測される。素材はカリガラスで、引き伸ぱし法で製作されている。丹後を中心とした日本海側のルートでもたらされた可能性が高く、西日本との交流がうかがえる。

遺構

二種類の建物が見つかった。一つは地面を掘って上屋を立てる半地下式の竪穴建物。斜面に近い場所にあり、すぐ西側には濠がめぐる。斜面側の半分は残念ながらなくなっていたが、、人が踏みしめたため硬くなった床面や火をたいた炉の跡があった。  もう一つは地面に穴を掘り柱を埋め込んだ掘立柱建物で、丘陵の西端で見つかった。 弥生中期後葉から後期後葉である。

  • 環濠
  • 縦堀2
  • 掘立柱建物1
  • 土壙墓7
  • 土坑15
  • 溝2+ピット495

遺物

  • 弥生土器(東北系+北陸北東部系+鏃縄文) 
    • 壺、
    • 甕、
    • 高坏
  • 粘土塊
  • 石器
  • 石製品(石鏃+石錐+環状石斧+磨石類+砥石)
  • ガラス小玉72(完成品68+半損品4))

アクセス等

  • 名称:山元遺跡
  • 所在地:新潟県村上市下助淵字山元
  • 交通:羽越本線村上駅から3km、徒歩41分。

参考文献

  1. 文化庁(2007)『発掘された日本列島 2007』朝日新聞
  2. 新潟県教育委員会(2009)『県内遺跡発掘調査報告書1 山元遺跡』

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