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豊浦宮2023年12月31日 23:23

豊浦宮(とゆらのみや)は奈良県明日香村豊浦付近にあった推古天皇の宮殿である。

概要

593年(推古元年)豊浦宮で推古天皇は即位した(「冬十二月壬申朔己卯、皇后?天皇位於豐浦宮」)。豊浦宮で即位した推古天皇は603年(推古11年)豊浦宮地と桜井寺地とを交換し、旧宮跡に桜井寺を移し豊浦寺とし、寺地に移った宮を小墾田宮とした。豊浦宮は小墾田宮に遷都するまでの宮室である。蘇我稲目の向原の家があった場所である。それまで宮殿が集中していた磐余から飛鳥に遷都し、飛鳥の地で最初の宮殿として推古天皇が即位したのが豊浦宮である。 豊浦宮は約11年に渡り使用された。推古天皇が豊浦宮で即位してから持統天皇が藤原京へ遷都するまでの約100年間は、飛鳥とその周辺に宮殿が集中したため、飛鳥時代と名付けられる。 舒明朝には塔婆が建立され、持統天皇のとき飛鳥五大寺の一つに称されたが、平安時代には朽廃したといわれる。豊浦の地はもと蘇我氏の本拠地であり、この豊浦宮の造営から飛鳥時代が始まったと言われている。

調査

向原寺の庫裏の建て替えが昭和60年に行われた際、地下埋蔵物の地質調査に対し住職夫妻が全面協力しその結果、豊浦寺の金堂・講堂と思われる伽藍配置の一部が出土し、その下層から石組溝や列柱などの遺構が発見された。その結果、日本最初の女帝・推古天皇の豊浦宮の跡と判断された。現在は、一部ではあるが当時の豊浦寺の敷石及び柱の跡が見ることができる状態で保存され誰でも見学できる。屋根も付けられ雨風にも影響が受けないようにして保存されている。

遷都年

日本書紀は603年(推古11年)「十一年冬十月己巳朔壬申、遷于小墾田宮。」に遷都したと記するが。『元興寺縁起並流記資財帳』は等由良宮を施入して等由良寺とした年を593年(推古1年)とする。この場合、遷都は593年の即位直後のこととになる。 推古天皇は蘇我稲目の孫にあたるため、宮の所在地は蘇我氏との関係で定められた可能性が高い。

墓誌

668年(天智天皇7年)につくられた船氏王後墓誌は、推古天皇を「等由羅宮治天下天皇」と記す。

出土

1985年の発掘調査によれば、現向原寺境内から豊浦寺講堂跡と推定される版築の基壇が検出され、この基壇の下層に石敷と高床式掘立柱建物の跡、砂利敷が確認され、豊浦宮の跡に豊浦寺が建立されたとする『元興寺縁起』の説が裏付けられている。豊浦宮の範囲や建物配置は確認されていない。

指定

  • 昭和52年3月22日 - 県指定史跡 「豊浦寺跡」

所在地等

  • 名称: 豊浦宮跡
  • 拝観料:志として200円(事前予約)
  • 所在地:奈良県明日香村豊浦630(向原寺内)
  • 交通:飛鳥駅より赤かめ周遊バス豊浦下車徒歩5分

参考文献

  1. 佐藤信(2020)『古代史講義 宮都編』筑摩書房

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