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男狭穂塚古墳2023年05月26日 22:06

男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)は宮崎県西都市三宅に所在する帆立貝式古墳である。

概要

男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳は南九州の古墳文化が頂点に達する5世紀前半に築造され、それまでに複線的な首長系列を統一する盟主的な墳墓である。 主円丘部の北西方向に重要文化財の子持家形埴輪舟形埴輪を出土した169号墳、170号墳がある。両古墳は陪塚と考えられている。古墳の現況は杉などに覆われている。

構成

主円丘は三段築成の造り出し付き円墳である。墳丘周囲に檀状部東南側が耳輪状の堀を二重に巡らせ、その間に中堤がある。

規模

計測された墳丘規模は全長249.1m、墳長154.6m、主円丘部径132.0m、同高さ19.1m、同標高85.6m、くびれ部幅45.5m、造り出し幅40.7m、同高さ4.5m、標高71.4m、内堀幅15mから18m、中堤幅17mから23m、外濠幅20mから25mであった。主円丘部の直径は女狭穂塚古墳より大きい。外堀の北部から西部に幅130mの渡り土堤がある。 主円丘部は130.0mから132mの正円である。墳頂はほぼ水平で幅31.0m33.0mの平坦面である。造り出し付きの円墳とすれば、馬見古墳群の乙女山古墳(奈良県)を抜き、日本最大の円墳となる。

築造時期

5世紀前半(古墳時代中期)頃の築造と推定される。

出土品

地中探査レーダー

地中探査レーダーにより地中の様子が判明した。前方部西側は第1周溝は逆「く」形に湾曲し、前方部に沿うように伸びている。端部は第2周溝に接するまで伸び、前方部前面には周濠は巡らない。周堤帯突端部は三角形状に先が細くなる。第2周溝は現状で当初の形状を維持する。前方部は西面と前面で大きく削られており、本来の形を残していない。前方前端は現状より20m南側となる。男狭穂塚古墳の本来の墳丘長は175mから176mとなる。第2周溝の端部を結んだライン上に前方部前端が来ることになり、規格性の高い設計プランが伺える。前方部幅は、現状より10mから15m広かった。

被葬者

実際の被葬者は明確ではないが、宮内庁は「男狭穂塚陵墓参考地」(被葬候補者:瓊瓊杵尊)とする。

アクセス等

  • 所在地:宮崎県西都市三宅
  • 交通: JR南宮崎駅から徒歩3分の宮交シティバスターミナルから西都行き宮崎交通バスで1時間3分、西都バスセンター下車、タクシーで5分

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  3. 宮崎県教育委員会(2007)『男狭穂塚古墳陵墓参考地地中探査事業報告書』
  4. 宮崎県教育委員会(1999)『男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地測量報告書』

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