四十塚古墳 ― 2023年05月22日 23:21
四十塚古墳(しじゅうづかこふん)は埼玉県深谷市にある円墳である。
概要
櫛挽台地は荒川左岸に広がる台地で。荒川により形成された扇状台地である。標高は扇頂部で100m、扇端部は35mから50mである。四十塚遺跡に方形周溝墓が6基検出されている。 四十塚古墳は昭和8年の農地開墾の際に消失した古墳である。開墾作業で出土したものは近所の小学校に寄贈されたが、その中で銀杏葉3点は行方不明となった。五鈴付鏡板付轡は馬具の一種で、現在確認されているものとしては全国に5例目であり、非常に希少なものである。 鉄製横矧板鋲留短甲は、打ち延ばして裁断した薄い鉄の板を鉄鋲で留めて組み上げた武具である。県内にある資料のうち唯一全体像が復元されたものである。
調査
発掘調査は平成12年10月2日から平成12年10月20日にかけて行われた。
馬具
- 鈴杏葉 鋳造による全長7.6cm、幅7.7cmの小型品である。鈴はほぼ同じ大きさで、径3.1cm、中に小石が1つ入れられている。
- 辻金具 鉄製の十字型である。中央に鉢状の盛り上がりの無い平板型である。5.1cm×4.4cmである。杏葉は雲珠もしくは辻金具と皮や布の帯を介して垂下されるもので、杏葉が辻金具に直接結びつけられている例はそれほど多くはない
- 鈴付楕円型鏡板付轡 鋳造製の鏡板の周囲に5個の鈴を配するものである。鏡板内部は同心円状に二重に珠文を巡らせるほか、縁の稜線上と立聞にも鋲を意識したように珠文は鋳だされている。
遺構
主体部は自然石で構成された舟形礫槨である。
- 主体部長 3.6メートル(残存部)
- 主体部幅1.8メートル(残存部)
出土品
築造時期
副葬品から5世紀末頃と推定されている。
展示
指定
- 平成15年3月18日 - 出土品は県指定有形文化財に指定された。
アクセス等
- 名称:四十塚古墳
- 所在地:
- 交通:
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
- 深谷市教育委員会(2008)『四十塚古墳 第4次調査』
- 「北武蔵の古墳群、豊かな副葬品」朝日新聞.2023年3月22日
赤坂天王山古墳 ― 2023年05月22日 23:26
赤坂天王山古墳(あかさかてんのうざんこふん)は、奈良県桜井市にある6世紀後半の方墳である。「赤坂天王山1号墳」ともいう。
概要
桜井市中心部から南東約3キロにある倉橋溜池のそばに位置する。奈良盆地で最大の横穴式石室をもつ古墳である。北側に突き出した台地の中央部に南面する。北辺約50.5m、南辺約43.2m、東辺約46.5m、西辺約47m、高さ9mの載頭方錘形である(公益財団法人桜井市文化財協会(2018)。いびつな形の方墳と判明している。花崗岩の自然の巨石を積み上げる。頂上部は一辺10m前後の平坦地である。各段の斜面に葺石が敷かれるが、埴輪は不明である。 赤坂天王山1号墳は奈良県で有数の墳丘と石室をもっており、周辺に点在する古墳の中でも学術的に最も重要性の高い古墳の一つと考えられる、とされている。西側の古墳の一部を壊して造られたことも明らかである。石棺では今回初めて赤色顔料が確認され、築造当初はベンガラで赤く塗られていたとみられる。 江戸時代には崇峻天皇倉梯岡上陵に比定されていた。家形石棺の南側には盗掘孔と見られる穴が空いている。
調査
桜井市市教育委員会は戦後初めて実施した測量調査の報告書を刊行した(公益財団法人桜井市文化財協会(2018)。
刊行
桜井市教委は平成11年から20年にかけて測量調査を実施した。調査結果をまとめた報告書『赤坂天王山古墳群の研究』(A4判、75ページ)を2018年6月に刊行した。
遺構
三段に築造され,玄室には二上山産の凝灰岩で作られ刳貫式の家形石棺が安置される。 石室の全長は12m。玄室玄室の奥壁に巨石が三段積みされている。横穴式石室の羨道長約8.5m、高さ約2m、玄室長さ約6.4m、高さ約4.2m、幅3mと長大である。石棺の南小口部には、蓋から身にかけて一辺48cmの方形の彫り込みがある。
遺物
正式な発掘調査は実施されていない為、出土遺物等は不明。
指定
アクセス
- 名称:奈良県桜井市倉橋
- 所在地: 〒633-0021 奈良県桜井市倉橋
- 交 通: JR・近鉄桜井駅からバスで10分菟田野町行 忍坂から徒歩5分
参考文献
- 小島俊次(1958)『古墳・桜井市古墳総覧』(桜井市文化叢書 Ⅰ) 、桜井市
- 「赤坂天王山古墳 戦後初の測量調査報告書、桜井市教委が刊行」産経新聞、2018年9月11日
- 公益財団法人桜井市文化財協会(2018)『赤坂天王山古墳群の研究』公益財団法人桜井市文化財協会
メスリ山古墳 ― 2023年05月22日 23:28
メスリ山古墳(めすりやまこふん)は奈良県桜井市にある前方後円墳である。
概要
最大の円筒埴輪(径0.9m、高さ2.4m)の出土により知られている。全国15位、奈良県7位の規模の古墳である。径128m、高さ19m。丘陵の尾根に位置し、前方部は西に向く。記紀や『延喜式』に陵墓としての記述はない。箸墓古墳、西殿塚古墳、桜井茶臼山古墳に続く初期ヤマト王権の大王墓と考えられている。墳丘に登ることができる古墳は珍しい。
調査
発掘調査は一次(1959年(昭和34年)12月~1960年1月)、二次(1960年(昭和36年)3月~4月)、三次(1961年3月)に分けて行われた。 墳丘は三段築成である。各段の縁辺に円筒埴輪が配置され。葺石がみられる。後円部中央に墳丘主軸に直交して割石を小口積みとした竪穴式石室がみられる。天井部を合唱形となる副室がみられる。石室は合計2ヶ所である。 合計106点の円筒埴輪が垣根のように密に並んだ埴輪列が出土した。四隅や要所に大型の円筒埴輪と高坏形埴輪を上にのせた円筒埴輪が配置されていた。 円筒埴輪のみが出土し、形象埴輪は出土していない。円筒埴輪は、胴部に特殊器台の文様の名残りである三角形のすかし穴が開いているなど古い特徴をもつ。近年の範囲確認調査で墳丘の裾が相当に埋没していることが確認された。
遺構
とくに第2石室は未盗掘であったため、多量の武器類などが発見され注目を集めた。第1石室は長さ約8.06メートル、幅約1.18メートル、高さ1.76メートル、第2石室は長さ6メートル、幅70センチメートル、高さ60~70センチメートルであった。石室の上面は約1mの高さの石垣の施された方形の土壇で囲まれている。
遺物
主室内から硬玉製勾玉6、碧玉製勾玉55,碧玉製鋤形石1、碧玉製石釧片29、碧玉製車輪石1、碧玉製櫛形石製品2、碧玉製盒子2、碧玉製棒状石製品1、滑石製鋤形石1、滑石製盒子片4、滑石製椅子形石製品3、鉄刀5口以上、鉄剣4口以上、内行花文鏡の破片、三角縁神獣鏡の破片が出土した。 副室内から碧玉製王杖、鉄弓1、銅鉇、鉄矢5、銅鏃236、碧玉製鋤形石製品50、鉄刀1口以上、鉄剣1口、鉄槍先212以上、鉄斧14、鉄鎌19、鉄ノミ3以上、鉄鉇51、鉄刀子45以上、用途不明鉄製品19、鉄鋸1が出土した。 鉄弓は全長182cmであり、鉄矢5は全長80cmのほぼ同規格であった。儀仗用と想定されている。出土品は一括して重要文化財に指定され、その多くは奈良県立橿原考古学研究所付属博物館で保存されている。
指定
アクセス等
- 名称:メスリ山古墳
- 形式:前方後円墳
- 被葬者: 大王墓あるいは有力首長の墓
- 築造時期: 4世紀後半(古墳時代前期)
- 全長:224m
- 後円部直径:128m
- 後円部高さ:19m
- 前方部幅:約80m
- 前方部高さ:約8m
- 所在地: 奈良県桜井市高田100
- 交通:JR桜井駅・近鉄桜井駅から奈良交通バス談山神社行きで8分、バス停:浅古下車、徒歩15分
参考文献
- 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
- 伊達宗康・小島俊次(1977)『メスリ山古墳』奈良県教育委員会
纒向石塚古墳 ― 2023年05月22日 23:29
纒向石塚古墳(まきむくいしづかこふん)は奈良県桜井市にある纒向古墳群のひとつである。
概要
箸墓古墳などの前方後円墳が定型化される以前の古墳とされる。全長96メートルの前方後円墳で、3世紀初頭の築造とする説と、3世紀後半の築造とする説とがある。1971年の発掘調査で周濠から出土した多くの遺物の年代観から、3世紀初頭の築造とされ、最古の古墳として注目されている、
纒向石塚古墳は3世紀初め頃の築造であると奈良県櫻井市教育委員会が公表した。墳丘内から3世紀初めごろの土器が出土し、それより新しい土器は一片も出土しなかったという。後円部は3段あり、前方部には段築なしで馬蹄形の周濠がめぐる。埴輪、葺石はなく出土遺物としては弧紋円盤,朱塗の鶏形木製品 などの木製品 や土師器。築造年代は3世紀初頭~中頃とされる。
年代観
3世紀後半に築造された箸墓古墳よりも、さらに古い時期の前方後円形墳墓が存在するとされる。 纒向石塚古墳、矢塚古墳、勝山古墳、ホケノ山古墳などである。
規模
- 形状 前方後円
- 墳長 93m
- 後円部 径62m
- 前方部 幅30m 長30m
- 外表施設 葺石あり
- 【周濠】あり (幅19~24m、最大38m)。
遺物
- 周濠内から、木製品が出土した。
- 鳥形木製品
- 鋤・
- 有頭棒
- 弧文円板
- 杖状木製品・
- 柱など
- 古式土師器
- 鶏形木製品
年代測定
纏向石塚古墳の第4次発掘調査(1989年)で、周濠内から多量の木材が出土し、うち 1点(勝山古墳出土の板材と酷似)のヒノキの板材の年輪年代は177年+α と判明している。古墳時代の開始年代を考えるうえで最初の重要な年代情報と評価されている(参考文献4)。
木製品の年輪年代
杭、柱、板材、農具、槽、組物、削り屑などの木製品が出土した。板材の年輪年代分析を行ったところヒノキの標準パターンと照合したところ177年となった。平均的な偏在幅は3cmであるため、外側に1cmあったと考えられる。試料の平均年輪幅は0.58cm、最終形勢年輪まで推移すれば18年が加算される。すると195年となる。西暦200年前後に伐採されたとみられる。
アクセス等
- 名称 - 纒向石塚古墳
- 規模 - 全長96メートル、後円部径64メートル、後円部の主丘部の東西59メートル、南北45メートル、前方部の長さ約32メートル、幅約34メートル
- 所在概要 -〒633-0084 奈良県桜井市太田253-1
- 交通 - 西日本旅客鉄道(JR西日本)桜井線巻向駅から700m
- 文化財指定状況 - 国指定史跡
参考文献
- 卑弥呼時代に前方後円墳
- 纏向石塚古墳第9次調査
- 「史跡 纒向遺跡・史跡 纒向古墳群-保存活用計画書」桜井市
- 光谷拓実,みつたにたくみ(2002)「年輪年代から見た古墳時代の始まり」奈良文化財研究所紀要: 奈良文化財研究所紀要 (2002),pp.16-17
- 「纒向遺跡 古代情報の宝庫」読売新聞,2021年1月25日
- 桜井市教育委員会(2012)『纏向石塚古墳 発掘調査報告書 第38集』
纒向東田大塚古墳 ― 2023年05月22日 23:31
纒向東田大塚古墳(まきむくひがいだおおつかこふん)は奈良県桜井市にある前方後円墳である。
概要
纒向遺跡の中では箸墓古墳に次ぐ墳丘規模である。従来は纒向型前方後円墳と見られていたが、2007年~2008年の第5次調査で前方部が長い墳丘で纒向型(後円部:前方部=2:1)ではないと指摘された。2009年の調査で前方部の墳丘端が確認され全長は120mと確定した(それ以前は96m)。前方部を南西に向ける。周濠は前方部では検出されず後円部のみ痕跡あり(幅21m、深さ1.3m)
調査
第5次調査は平成19年12月10日から平成20年2月25日まで行われた。第一次調査では後円部から20mの位置で南に落ち込む遺構が確認された。第二次調査では後円部の北東墳丘端が確認された。第4次調査で周濠の外肩を確認した。墳丘全長が108m以上と確認できた。第5次調査で全長120mを確認した。前方部長は50mで、後円部径対前方部長の比率は1.4:1となり、纏向型の2対1とは異なることが分かった。纒向型前方後円墳から定型化する前方後円墳に変化する過渡的な前方後円墳と想定された。
規模
- 墳長 120m
- 後円部 径64m 高7m
- 前方部 高1m
- 周濠 - 周濠幅約21メートル、周濠深さ1.3メートル
- 標高 66m
遺構
埋葬施設は未調査である。墳丘周辺から芝山産の安山岩の板材が少量採集されており竪穴式石室の可能性がある。
出土品
- 布留0式期新相期の土器 濠内
- 木製品、濠内
- 壷棺、外堤
- 籠状製品 外堤
築造時期
古墳時代初頭(3世紀後半)
展示
指定
- 2006年1月26日、纒向古墳群の一つとして国の史跡に指定された。
アクセス等
- 名称:纒向東田大塚古墳墳
- 所在地:奈良県桜井市東田字大塚
- 交通:JR巻向駅から徒歩13分
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
- 桜井市教育委員会(2009)『平成19年度国庫補助により発掘調査報告書』桜井市教育委員会
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