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高坏形土器2023年12月24日 10:17

高坏形土器(たかつきがたどき)は坏(つき)に高い脚をつけた1人用の食器である。

概要

原型は縄文時代に食べ物や土器などを盛るために使われていたものと考えられている。 盛り付け用の高杯は、本格的な水田稲作が始まる弥生時代になって生まれた器といわれる。

出土例

  • 高坏 - 大阪府柏原市・藤井寺市 船橋遺跡出土 弥生時代(中期)・前2~前1世紀
  • 高坏形土器 - 野殿深作東遺跡出土
  • 高坏形土器 - 出土地不詳、縄文時代(晩期)・前1000~前400年

参考文献

跡部遺跡2023年12月24日 10:56

跡部遺跡(あとべいせき)は、大阪府八尾市にある弥生時代前期から古墳時代前期、中世までの複合遺跡である。

概要

跡部遺跡は八尾市北部に位置し、北に長瀬川、南に平野川があり、旧大和川の河川に囲まれた地域である。弥生時代前期から古墳時代前期、古代・中世に至る遺構・遺物が検出されている。遺跡の西部地域は遺構の密度が薄い、遺跡の中心は東部地域である。 八尾市内では1921年(大正10年)、恩地垣内山で流水紋銅鐸が発見されている。東京国立博物館にある。近くの都塚山から1949年、袈裟欅紋銅鐸が発見された。鐸全高39cm、鈕高10cmである。 平成5年に実施した竜華小学校体育館敷地及び周辺の発掘調査では、弥生時代の集落を幾重かに取り囲む溝が検出された。 日本書紀にみえる阿都(あと)地名に通じることから、物部氏の本拠の一角であったと推定されている。6世紀の遺構、遺物が検出されている。

遺構

弥生時代中期の大規模な溝(1994年調査)。奈良時代の井戸(1996年調査)。

遺物

  • 銅鐸
    • 平成元年に春日町一丁目の地下より流水紋銅鐸が1.4m四方の穴に埋納された状態で発見された。低湿地でみつかった全国で初めての例で、土坑のなかに丁寧に埋められたことが発掘調査で判明した。八尾市指定文化財。銅鐸内の土は周囲の土壌とは異なることが判明した。 鐸全高46.65cm、鈕高13.65cm。舞幅19.2cm、舞の長径15.2cm。重量4.7kg。最終仕上げに研磨がされている。扁平紐式で、鐸身の全体に流水紋の紋様がある。外縁には鋸歯紋帯、連続渦紋帯、斜線紋帯が施され、菱環には綾杉紋が施される。紐外側には双頭渦紋の飾耳が付けられる。流水紋は五条の突線で描かれる。
  • 直口壺破片 ? 弥生時代
  • 小型壺 
  • 加飾壺
  • 広口壺
  • 長胴壺
  • 高坏
  • 鼓型器台
  • 小型鉢
  • 大型鉢
  • 木製品 ? ほぞ穴付き

文献

  • 日本書紀 巻第廿一 用明二年夏四月
    • (原文)是時、押坂部史毛屎、急來、密語大連曰「今、群臣圖卿、復將斷路。」大連聞之?退於阿都(阿都大連之別業所在地名也)集聚人焉。

類例

指定

時期

展示

アクセス

  • 名称:跡部遺跡
  • 所在地:大阪府八尾市東太子1丁目6-12(竜華小学校内)
  • 交 通:JR「久宝寺」駅から徒歩約14分/近鉄バス「植松」から徒歩4分

参考文献

  1. 銅鐸(八尾市指定文化財)(跡部遺跡出土)」八尾市立歴史民俗資料館
  2. 大阪府教育委員会(2002)『跡部遺跡』大阪府埋蔵文化財調査報告2001-6

会下山遺跡2023年12月24日 11:27

会下山遺跡(えげのやまいせき)は兵庫県芦屋市にある弥生時代中期から後期の高地性集落遺跡である。

概要

六甲山系南部の標高201mの尾根部に位置する。1954年(昭和29)、弥生土器の発見を契機に遺跡の存在が知られた。土器は広範囲な地域集団との交流を示している。集落の最も北側で、二重の堀跡がみつかっている。幅は約3~ 5.5 m、深さは約1.2 mある。敵や動物の侵入を防いだり、集落の境界を区切るためのものであったと考えられる。

調査

1954年(昭和29 年)、会下山遺跡の近くの芦屋市立山手中学校で、裏山(会下山)に植物実習園をつくるための道づくりが行われていた。この時、作業に参加していた生徒たちが偶然、弥生土器の破片を発見した。この発見を受けて、1956年(昭和31年)から1961年(昭和36 年)に発掘調査が行われた。 祭祀関係遺物をともなう竪穴建物1棟、大型の竪穴建物1棟を含む合計9棟の竪穴住居跡が見つかった。最も大きな竪穴住居は直径が8~ 10 mあり、他の竪穴住居より少し高い場所につくられていた。この建物にはムラのリーダーが住んでいたか、またはムラ人たちが共同で使う施設の可能性もある。 石器のほか鉄鏃、鋳造鉄斧などの鉄製品、さらに日本列島では珍しい漢式三翼鏃も出土した。焼土坑、土坑墓、柵列なども確認されている。山手中学校側から山道を登り,6トレンチ→5トレンチ→4トレンチ→1トレンチ→3トレンチ→2トレンチの順番に検証した。 穴の中で高温の火を使った跡が2ヶ所で見つかった。野外の調理場やノロシの施設、土器を焼き上げるための施設など、さまざまな説がある。

遺構

  • 竪穴住居 9棟 平面円形
  • 祭祀場 2か所
  • 墓跡 ? 4基
  • 焼土坑 - 長径4メートル
  • ピット
  • 段状遺構
  • 溝状遺構 2条
  • 柵跡

遺物

中に河内(大阪府)、讃岐(香川県)など、遠くの地域から持ち運ばれてきた土器もあり、会下山遺跡の人々が遠方地域と交流があったことがうかがえる。

  • 有茎式銅鏃 1
  • 漢式三翼銅鏃1
  • 石鏃
  • 高坏
  • 無頸壺
  • ガラス小玉
  • 鉄器(鉄片+釘)
  • 石鏃(サヌカイト製)
  • 剥片(サヌカイト製)
  • 弥生土器
  • サヌカイト製石鏃
  • サヌカイト剥片
  • 掻器
  • 石錐

指定

  • 1960年 - 兵庫県史跡指定
  • 2011年(平成23年)2月7日 - 国の史跡指定

アクセス等

  • 名称:会下山遺跡
  • 所在地:〒659-0087 兵庫県芦屋市三条町258番地
  • 交通:阪急電鉄神戸本線芦屋川駅から徒歩約15分

参考文献

  1. 芦屋市教育委員会(2017)会下山遺跡パンフレット

弘法山古墳2023年12月24日 13:23

弘法山古墳(こうぼうやまこふん)は長野県松本市にある紀元3世紀後半の前方後方墳である。

概要

松本市市街から南東約3kmの丘陵上にある東日本で最古級の3世紀後半から4世紀中葉頃築造の前方後方墳である。中国製の半三角縁四獣鏡や鉄剣、鉄斧などの出土品は県宝に指定されている。埴輪の設置や周濠は検出されない。出土土器の形式から、3世紀中葉に遡るとする意見もある。3世紀中葉になるとすれば箸墓古墳と同時期になる。 本遺跡は弥生時代の集落形態及びその社会を知る上で重要であり、学史的にも著名である。

調査

昭和49年に松商学園が弘法山を買収し、学校用地造成に先立って発掘調査を開始したところ、これが単なる円墳ではなく、今まで松本平にはないとされてきた前方後円墳の可能性を考えた。 昭和49年5月から大正大学の斎藤忠教授を団長とする調査が行われた。埴輪は検出されず、葺石も明瞭ではなかった。墳丘は版築の手法が取られていた。墳丘は周囲の土を盛り上げたものである。前方部はかなり狭く小さい。河原石で築かれた石室が現れ、石室上から出土した多量の土器と完存していた副葬品のセットから、古墳は3世紀末(古墳時代初期)に造られたもので、長野県だけでなく東日本で最古(当時)であることが判明した。埴輪の樹立はなく、葺石もわずかに見られる程度であった。主体部は後方部中央にあり、主軸(前方部と後方部を結ぶ線)とほぼ直角となる。石室内法の長さは5.0m、幅は1.3m。深さは93センチメートルであった。石室内には黒土を入れて堅く締められており、天井石は見当たらなかった。

墳丘

  • 形状 前方後方墳
  • 墳長63m
  • 後円部 径33m 高6m
  • 前方部 幅22m 長30m 高2m

外表施設

  • 葺石 あり

主体部

  • 室・槨 竪穴式石槨

出土品

副葬品は「弘法山古墳出土品」として松本市立考古博物館で展示される。土器破片を接合・図上復元した個体は壷8、高坏10・器台2・坩(つぼ)・甕各2、手焙型(てあぶりがた)土器1の25点であった。古墳時代の土器としては最古式に属する。獣帯鏡(斜縁二神二獣鏡)は卑弥呼の鏡ともいわれている三角縁神獣鏡に先行する鏡式で、朝鮮半島の楽浪郡帯方郡から数面の出土があるところから同郡を抑えていた公孫氏が魏によって滅ぼされた景初2年(238)以前に帯方郡に入貢していた倭の首長たちが入手した鏡と想定されている。銘文から中国の官営工房で作られたことが分かる。 斜縁二神二獣鏡は東京国立博物館蔵の佐味田宝塚古墳出土品にもある。

遺物

  • 【鏡】斜縁獣帯鏡。 舶載獣帯鏡
  • 鏡1面、 、斜縁二神二獣鏡
  • 【玉類】ガラス小玉
  • 【武器・刀剣類】鉄剣:1、鉄槍:2。
  • 【武器・鏃】類 柳葉11・定角4
  • 【農工具】工具:鉄斧1・やりがんな1。
  • 銅鏃1、
  • 鉄鏃 24点、
  • 土器片 1000点

指定

  • 昭和51年2月20日 国指定史跡

アクセス等

  • 名称:弘法山古墳
  • 築造時期: 3世紀後半から4世紀中葉頃に築造
  • 入場料: なし
  • 所在地: 〒390-0825 長野県松本市並柳2丁目1000番地
  • 交通: JR松本駅から松本バスターミナルから「並柳団地線」に乗車。「弘法山入口」バス停で下車、徒歩約10分

展示

参考文献

  1. 斎藤忠(1978)『弘法山古墳』松本市教育委員会
  2. 大塚初重(2021)『邪馬台国をとらえなおす』吉川弘文館

ハケメ2023年12月24日 14:18

ハケメ(はけめ)は土器の表面に残った浅い高低のある線状の痕跡である。 「刷毛目」「ハケ目」とも書く。

概要

土器や埴輪の表面を平らにして、筋目をつける技法である。数本の筋がまとまって平行に並んび、長くのびている。成形途中の土器の表面を工具で撫で、かきならしたときにできる筋状の線である。

描き方

筋目をつける工具には弾力性のある草の茎の束や簓状のもの、薄板の小口に切り込みを入れた櫛状のものを考えられたが、実験によりカマボコの板を薄くしきりこみを入れない板材の木口を擦ることによって施されていることが判明した。板材は針葉樹が多い。年輪が明瞭に作られる杉などの板目材を使い、平面を削り、小口を一直線に切りそろえる。木口で土器の表面をかきならし、なでつけを繰り返すと、年輪の柔らかい春材部分は摩耗し、固く緻密な夏材部分が残るため、木口が凹凸になる。突出する夏材の部分が線状の擦り跡となる。これをハケメと呼ぶ。ヒノキでは春材から夏材への移行が緩慢となるため、擦り跡は不明瞭となる。広葉樹では擦り跡は微弱である。

来歴

北部九州の弥生時代Ⅰ期にみられ、Ⅰ期以後は広範囲にわたり、土師器につながる。貯蔵用の壺や供膳用の高坏、椀ではハケメの上からナデを入れるので、ハケメが消えてしまう。 朝鮮半島の無文土器にもハケメは見られる。

検討課題

弥生土器のハケメは朝鮮半島の無文土器などの系譜とつながるものであるかは検討課題である。

事例

  • ハケメ - 円筒埴輪、玉手山遺跡、大阪府柏原市、5世紀後半
  • ハケメ原体 - 比恵遺跡群、福岡県福岡市、弥生時代

参考文献

  1. 横山浩一(1973)「刷毛目調整工具に関する基礎的実験」九州文化史研究所紀要 23 ,pp.1~24
  2. 横山 浩一(1979)「刷毛目技法の源流に関する予備的検討」九州文化史研究所紀要 24 pp.223~245
  3. 南山考人(2010)「須恵器における刷毛目技法--岡山県奥ヶ谷古窯と大阪府TG232号窯との比較を通して」南山考古文化人類学研究会 38pp.79~89
  4. 中園聡(1993)「折衷土器の製作者:韓国勒島遺跡における弥生土器と無文土器の折衷を事例として」史淵 130,pp.1-29

室宮山古墳2023年12月24日 15:20

室宮山古墳(むろみややまこふん)は奈良県御所市室にある古代の前方後円墳である。「室の大墓」と呼ばれる。

概要

奈良県御所市室の平野部に西向きに所在する。墳丘長238mの前方後円墳。奈良盆地西南部地域(葛城地域)において最大の規模である。大王墳に匹敵する規模・内容をもつ。葛城襲津彦の墓ともいわれ、三段築成の巨大な墳丘に葛城氏の勢力がしのばれる。 墳丘は3段築成で、外部施設として葺石、埴輪列の存在が確認されている。円筒・朝顔形Ⅲ式埴輪、形象埴輪靱・楯・短甲(三角板角綴形)・草摺衣蓋、切妻造・四柱造、異形直弧文を線刻する埴輪が出土する。後円部墳頂に南北2つの埋葬施設がある。南側の埋葬施設は竜山石製の長持形石棺を内蔵する竪穴式石室で、激しい盗掘にあっていたが、銅鏡片、滑石製・碧玉製の玉類や滑石製模造品、琴柱形石製品などが出土した。竪穴式石室の天井石の上面に、直弧文を施した朱塗方形の柱の上に、鰹魚木をのせた入母屋造の屋根をのせた大型家形埴輪(高さ121㎝)と高坏(たかつき)形埴輪が樹立されていた。竪穴式石室を方形に取り囲む埴輪列では冑と盾を組み合わせた埴輪、盾形、靫形、草摺形埴輪が表面を外側に向けて配置されていた。 北側の埋葬施設の発掘調査は実施されていないが、竪穴式石室の天井石が露出している。朝鮮半島南部の伽耶地域で生産された船形や高坏形の陶質土器の破片が採集されている。

調査

1950年に後円部の埋葬施設の一部が破壊されたことから、発掘調査が行われた。

墳丘

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:3段、後円部:3段
  • 墳長 238m
  • 後円部 径105m 高25m
  • 前方部 幅110m 長130m 高22m

外表施設

  • 円筒埴輪 円筒・朝顔形Ⅲ式
  • 形象埴輪
    • 靱・
    • 楯・
    • 短甲(三角板角綴形)・
    • 草摺・
    • 衣蓋、
    • 切妻造・
    • 四柱造、
    • 異形直弧文を線刻する埴輪

葺石

  • あり

主体部

  • 室・槨 ①竪穴式石槨②竪穴式石槨?③(伝)粘土槨?④粘土槨
  • 棺 ①長持形石棺②長持形石棺?③木棺(型式不明)④割竹形木棺

遺物

  • 【鏡】中国:①ⅲ神獣鏡10数片③11(型式不明)。
  • 【玉類】硬玉:
    • ①ⅱ硬玉棗玉5、
    • 碧玉:①ⅱ碧玉勾玉2、
    • 滑石:①ⅲ滑石管玉15、
    • メノウ:①ⅱメノウ勾玉3、
    • ①ⅰガラス臼玉7
    • ①ⅲガラス臼玉32
    • ③ガラス小玉 約100。
  • 【石製模造品】
    • 琴柱形:①ⅱ1、ⅲ1、
    • 装身具:①ⅰ滑石製勾玉1、ⅱ滑石製勾玉58、①ⅲ臼玉75、
    • 滑石製勾玉564 ③滑石製勾玉29、
    • 農工具:①ⅲ刀子16、斧1、杵形1 
    • 刀子 1、
    • その他:①ⅲ棒状2、石状2、異形1。
  • 【武器・刀剣類】鉄剣:①ⅱ7、鉄刀刀:①ⅱ1 ⑤破片出土(工事中に)。
  • 【武器・鏃】その他の鉄鏃:⑤型式・数量不明。
  • 【武具】革綴短甲:①ⅱ三角板1(細片で約1領分)、その他:⑤破片出土(工事中に)。-【農工具】農具:①斧1、工具:①ⅱ刀子3。
  • 【土師器】①ⅲ数片。
  • 【その他】①ⅲ銅器片1 ⑤漆塗製品。

築造時期

  • 5世紀初頭(古墳時代中期)頃の築造と推定

指定

  • 1921年(大正10年)3月3日指定 宮山古墳

アクセス等

  • 名称:室宮山古墳
  • 所在地:〒639-2277 奈良県御所市室
  • 交通:近鉄近鉄御所駅→奈良交通バス五條方面行きで6分、バス停:宮戸橋下車、徒歩5分

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
  2. 小笠原好彦(2019)『奈良の古代遺跡』吉川弘文館

中依知遺跡群2023年12月24日 22:09

中依知遺跡群/横穴墓3号墓

中依知遺跡群(なかえちいせきぐん)は神奈川県厚木市に所在する縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良・平安時代の複合遺跡である。

概要

中依知遺跡群は相模川と中津川に挟まれた中津原台地上と中津川に面する西側斜面に展開する遺跡群である。縄文時代の調査では、陥穴状土坑が発見され、狩猟場など当該期の土地利用の様子がみえる。古墳時代では、第1次調査で発見された2号から4号横穴墓の墓道の続きが発見され、その規模が推定できた。奈良・平安時代の調査では、第1次調査で発見された伝道と考えられる長大な道路状遺構の続きが捉えられ、更に西方へと延びていた。中世以降の調査では、低位段丘の東側台地上に5基の地下式坑が発見され、第1次調査で発見された地下式坑群の一部を成していた。また、地下式坑群の南西側に、同時期と考えられる土壙墓群の存在がほぼ明確となった。 

調査

さがみ縦貫道路(国道 468 号線)・厚木秦野道路(国道 246 号線)の建設に伴う調査で、平成 13 年6月より行っている。平成 14 年度は約 15,000 ㎡の調査を行った。

古墳

第1~第3号墳と新たに第4・5号墳の調査を行った。調査を行った古墳はいずれも径 16~22mほどの円墳で古墳の中心に横穴式石室と呼ばれる埋葬施設を持つ。1~3号墳の石室から、鉄刀や鉄鏃などの武器類、ガラス玉・管玉・切子玉・勾玉や金銅製の耳環などの装身具、人骨片が発見された。

  • 1号墳 周溝がある。第1号墳の周溝からは、珍しい把手付の土師器の壺が発見された。 石室の幅は90cmで部屋は天井まで1.4mと推定される。
  • 3号墳 第3号墳からは、馬具の一部である飾金具や鉸具が出土した。管玉、水晶玉、鉄刀が見つかった。
  • 4号墳 第4号墳からは、鉄刀・鉄鏃・人骨などが発見された。

横穴墓

国道 129 号線に近い傾斜面では、横穴墓と呼ばれる崖面を掘って造られる、古墳の横穴式石室に類似した施設が10基発見された。平面は馬蹄形である。入り口が狭く、奥壁が最も広い。玄室の床面積は8平米から12平米である。玄室の奥よりに棺座石を並べて区画する。 3号、6号では礫床の下に排水口が作られる。

  • 第1号横穴墓 現在の市道 204 号線下に続いており、内部は道路建設時に破壊されていたが、開口部と開口の前面の前庭部と呼ばれる部分の調査を行った。7世紀の坏、鉄族や鉄刀が出土した。
  • 第3号横穴墓 玄室奥壁はアーチ状で、高さ約1.7m、幅約2.5m。鉄鏃と玉類が出土した。
  • 第4号横穴墓 人骨が3体以上検出された。埋葬された人が身につけていたガラス小玉が見つかる。鉄鏃と刀子が出土した。
  • 第6号横穴墓 墓前域は3面を石積で覆われていた。入り口横にフラスコ型の壺が置かれていた。
  • 第7号横穴墓

指定

アクセス等

  • 名称:中依知遺跡群
  • 所在地:神奈川県厚木市中依知天神
  • 交通:東日本旅客鉄道相模線入谷駅から4km

参考文献