別所茶臼山古墳 ― 2023年05月22日 23:07
別所茶臼山古墳(べっしょちゃうすやまこふん)は群馬県太田市にある前方後円墳である。「円福寺茶臼山古墳」「宝泉茶臼山」「宝泉村5号墳」ともいう。
概要
群馬県太田市西部、大間々扇状地末端に広がる沖積地に立地する。大田市内では天神山古墳に次いで第2位、県内でも第3位の規模を誇る。前方部を南方に向ける。周濠は馬蹄形。周堤あり。墳丘中段に円筒埴輪が巡らされている。後円部墳頂付近の十二所神社、墳丘東側裾部の円福寺本堂および伝新田氏累代の墓によって原形が損なわれている。
調査
- 1962年、群馬大学が墳丘実測と部分的な発掘調査を行う。、
- 1979年、新田氏累代の墓の改修に伴う太田市教委の周堀の一部の発掘調査
- 1991年、墳丘東側にある墓地の拡張に伴う太田市教委の周堀の一部の発掘調査
- 1992年、円福寺本堂の建て替えに伴う太田市教委の周堀の一部の発掘調査
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:3段
- 墳長 164.5m
- 後円部 径96m、高11.8m
- 前方部 幅75m、高7.3m
遺構
主体部は竪穴式系と考えられる。主体部は未調査の為、詳細は不明。
出土品
築造時期
5世紀前半頃に造られたと考えられる。
指定
- 2000年(平成12年) 国の史跡に指定
アクセス等
- 所在地:〒373-0041 群馬県太田市別所町402の西円福寺境内付近
- 交通: 東武伊勢崎線太田駅から15分
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
塚廻り古墳群 ― 2023年05月22日 23:10
塚廻り古墳群(つかまわりこふんぐん)は群馬県太田市龍舞町にある古墳群である。
概要
現在は一面の水田であるが、金山・八王子丘陵と足尾山地にはさまれた渡良瀬川扇状地にある。形象埴輪は昭和62年6月に一括して国指定重要文化財となった。
調査
昭和52年、県営圃場整備事業に伴って群馬県教育委員会によって発掘調査が行われ、7基の古墳が確認された。4号墳と3号墳の一部は現状保存された。古墳から、多くの形象埴輪が出土した。 平成22年に、太田市教育委員会の調査により18年(弘仁9年)と推定される洪水の跡が確認され、この下から新たに4基の古墳が確認された。この結果から、周辺にはまだ多くの古墳が存在していると考えられる。
遺構
平成23年2月から3月に、太田市教育委員会による発掘調査が行われ、818年と推定される洪水層が確認され、これに埋まった形で、古墳4基、住居跡2軒などが確認された。 1号住居跡は竪穴式住居である。柱穴は4基確認された。土師器片は古墳時代前期とみられる。
規模
1号墳は、主軸長が26.1mの帆立貝式古墳。後円部径は18.8m、前方部の幅は10.8m。 3号墳は、墳形、主軸長23.6mの帆立貝式古墳である。 4号墳は主軸の長さが22.5mの帆立貝式古墳である。後円部の直径は17.7m、前方部幅は8.7m。7号墳、11号墳、12号墳、13号墳は円墳である。
築造時期
古墳時代前期は1号住居跡、2号住居跡、5号溝、7号溝である。11号墳は屈曲脚高坏があるため5世紀前半と想定される。12号墳はTK47段階で、5世紀後半とみられる。
出土品
土師器、埴輪、須恵器、縄文土器が確認された。縄文土器は遺構外である。 4号墳から総数304本の埴輪が出土した。内訳は、円筒埴輪253本、形象埴輪35本など。 3号墳から合計66本の埴輪が出土した。内訳は円筒埴輪45本、形象埴輪21本である。 形象埴輪は、人物埴輪が12本、器財埴輪7本、器財埴輪の台2本である。
被葬者
展示
群馬県立歴史博物館及び群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館で展示。
指定
- 昭和52年9月20日 県指定史跡
アクセス等
- 名称:塚廻り古墳群
- 所在地:〒373-0806 群馬県太田市龍舞町3089(4号墳)ほか
- 交通: 東武小泉線竜舞駅から10分
参考文献
- 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
- 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
- 太田市教育委員会(2012)『塚廻り古墳群』太田市文化財調査報告書
総社愛宕山古墳 ― 2023年05月22日 23:11
総社愛宕山古墳(そうじゃあたごやまこふん)は群馬県前橋市に所在する7世紀前半の方墳である。「愛宕山古墳」、「総社町10号古墳」とも呼ばれるが、同名の古墳は多数あるため、地名で区別している。
概要
榛名山から東南方向に広がる裾野の末端に位置し、現利根川の西岸南北4kmに位置する。 周濠がある。石室は墳丘の南側に開口する。家形石棺が置かれる。墳丘に埴輪は立てられていなかった。周濠は約18m、葺石あり、埴輪列なし。 7世紀初頭を最後にして、前方後円墳の築造は全国で停止された。7世紀の群馬県では前橋愛宕山古墳と宝塔山古墳などの大型方墳が作られた。全国的に造営停止されたことは、ヤマト政権から何らかの指令があった可能性がある。
調査
昭和27.7.3から昭和27.7.4調査。平成7.9.1から平成7.12.22 学校建設による調査。令和3年度に調査した。葺石は大きな河原石を並べている、3段築成と判明した。墳丘部は未調査。
規模
- 1辺約56m 方墳
- 高さ約8.5m
遺構
埋葬施設は南東方向に開口する両袖型の横穴式石室。安山岩の巨石を用いて構築される。 石室の規模は次の通り。
- 全長約9.3m、
- 玄室部長6.91m
- 幅2.94m
- 高さ2.91m
遺物
副葬品等は見つかっていない。下記が出土。
築造時期
7世紀前半
被葬者
5世紀後半から7世紀後半にかけて当地を治めた豪族。 「上毛上野古墓記」(1810年)によれば、愛宕山古墳を豊城入彦命、宝塔山古墳を彦狭島王、蛇穴山古墳を御諸別命とし、総社二子山古墳を豊城入彦命の副葬品を納めたものとしていた
指定
指定されていない理由は、石室の入り口付近に一般人の墓があり、この墓の家の方は遠方に引っ越したが、連絡がつかず、移動してもらうことも、また勝手に移動することもできないため、整備や史跡指定ができない。
アクセス等
- 名称:総社愛宕山古墳
- 所在地:群馬県前橋市総社町総社1763
- 交通: JR上越線「群馬総社駅」から徒歩10分
参考文献
- 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
- 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
- 群馬県教育委員会(2018)『群馬県古墳総覧』群馬県教育委員会; 第2版
姉崎二子塚古墳 ― 2023年05月22日 23:12
姉崎二子塚古墳(あねざきふたごづかこふん)は千葉県市原市にある前方後円墳である。 上総の代表的な前方後円墳である。
概要
姉崎古墳群の代表滞な古墳である。内房線姉崎駅の東北約1kmの養老川河口近くの沖積地標高5m前後の砂丘上に位置する。墳丘周囲に盾形周溝が巡る。木棺直葬と見られる。
調査
- 1947年に國學院大學考古学会、大場磐雄らが調査。上下二段の円筒埴輪列が確認された。
- 2005年度(平成17年度)、民家建設に伴う周溝確認調査[7]。
- 2006年度(平成18年度)、周溝範囲の確認調査[2]。
- 2014年度(平成26年度)、民家建設に伴う周溝確認調査
主体部
- 棺
- ①木棺直葬
- ②木棺直葬
規模
- 形状 前方後円墳
- 墳長 103m
- 後円部 径50m 高9.5m
- 前方部 幅52m 長48m 高8.5m *遺構
出土品
- 【鏡】中国:①蟠?文鏡1、ボウ製:①変形文鏡1・四神十二支鏡1。
- 【玉類】硬玉:①勾玉7、滑石:①大形勾玉1・管玉4、メノウ:②勾玉1、①小玉300余。-【装身具】耳飾類:②銀製垂耳飾(腰佩として報告)、その他装身具:①金銅製魚鱗文金具(魚佩か)。
- 【石製模造品】農工具:①刀子(破片とも)5、その他:①有孔円板・臼玉 3。
- 【武器・刀剣類】鉄刀:①破片 2②2、鉄鉾:①1②2。
- 【武器・鏃】長頸鏃:②広身・細身、その他の鉄鏃:②長柳葉。【武具】革綴短甲:①破片②横矧板革綴1、衝角付冑:①鉄地金銅製小札鋲留(地板2段構成)、①挂甲小札片②挂甲小札片・頸甲片・肩甲片。
- 【馬具】②轡(銜・引手)。
- 【その他】①立花4・(伝)石枕②石枕1(高縁3段・直孤文陰刻)・立花2。
築造時期
、古墳時代中期の5世紀前半-中頃と推定
指定
- 1968年(昭和43年)4月9日 指定 史跡 -
重要文化財
- 1974年(昭和49年)6月8日指定、 石枕(立花二箇共)- 國學院大學保管。
アクセス等
- 所在地:千葉県 市原市 姉崎字二夕子1762
- 交通: JR内房線姉ヶ崎駅から徒歩約30分
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
埼玉古墳群 ― 2023年05月22日 23:14
埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)は埼玉県行田市にある古墳群である。
概要
5世紀後半から7世紀中頃にかけて、大宮台地の北端に築かれた、前方後円墳8基、大型円墳2基、方墳1基、小円墳群で構成される古墳群である。利根川と元荒川に囲まれた標高17~18mの沖積地に立地する。 前方後円墳の形態に強い規格性があるのが特徴である。大和の天皇陵クラスの大古墳にしか見られない二重周濠が前方後円墳にある。 約30haの古墳公園内に、国宝「稲荷山古墳金錯銘鉄剣」などが展示されている「県立さきたま史跡の博物館」がある。
古墳群の構成
指定
2020(令和2)年3月10日に、埼玉県内では初の国の特別史跡に指定された。
アクセス
- 名称:埼玉古墳群
- 所在地:〒361-0025 埼玉県行田市埼玉4834
- 交通:JR高崎線行田駅から15分( 観光拠点循環コース(左回り)15分・(右回り)37分「埼玉古墳公園前」下車 徒歩約2分)
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
- 斎藤忠・大塚初重(1980)『稲荷山古墳と埼玉古墳群』三一書房
二子山古墳 ― 2023年05月22日 23:14
二子山古墳(ふたごやまこふん)は埼玉県行田市にある古代の前方後円墳である。
概要
埼玉県では最大規模の古墳である。方形の二重周濠をもつ。墳 2つのなだらかな山が連結したような形状が名の由来である。堀に挟まれた中堤は遊歩道となる。 東側裾に観音寺があったことから「観音山」とも言われる。 『五街道分間延絵図(1806)』の「館林道」に観音寺に隣接する「水塚」があり、これが二子山を指すと思われる。 『北部八志(1907)』に、「両子山 又観音寺山とも云う、高さ五丈周圍七八町、是は唯に本村の巳ならず殆んど本國中の 大塚にして之を望むに天然の丘陵の如く車塚の制にして前方公圓壇三也儼然として其形存せり」と書かれる。 堀は「空堀」であったが1968年(昭和43年)の内堀修復工事により「水堀」として整備された。 しかし、その後墳丘の崩落などが続いたため、埋め立てられた。 墳形は稲荷山古墳、鉄砲山古墳と同様に大阪の大仙古墳(仁徳天皇陵)に類似している。稲荷山古墳の1.15倍の相似形である。
調査
昭和42年度から59年度まで4回の調査が行われている。西側中堤外堀側に方形の造り出しが存在する。 トレンチ調査により中堤造り出しと外方を結ぶブリッジを検出した。 昭和42年度調査では、堀状の遺構を確認し、西側くびれ部に造り出しを確認した。埴輪片、須恵器片が出土した。 内堀の底部分で大量の埴輪片が出土した。造り出しの平面は台形であった。埋葬施設は発掘調査されておらず、詳細は不明。
規模
- 形状 前方後円墳
- 墳長 138m
- 後円部 径70m 高13m
- 前方部 幅90m 長68m 高14.9m
被葬者
発掘は未調査で不明であるが、後円部墳頂に直径8m、深さ50cmの陥没穴があり、盗掘を受けた可能性がある。
出土品
埴輪は川西編年のⅤ期に相当する。
- 円筒埴輪 - 朝顔形Ⅴ式
- 形象埴輪 – 馬形埴輪、不明形象埴輪、靱、蓋、楯、馬、水鳥
- 人物埴輪 - 男子、女子
- 土師器
- 須恵器 - 器台、壺、甕、堤瓶
築造時期
6世紀の前半と想定される。
棄損被害
古墳を保護するため、墳丘部への立入を禁止しているが、令和5年1月26日(木曜日)に県立さきたま史跡の博物館学芸員が、同古墳の状態を確認するため、墳丘に登った際に古墳の棄損を発見した。墳丘盛土の掘削以外には被害は確認されていない。史跡のき損は文化財保護法に違反する犯罪行為であるため、令和51月26日に警察に通報した。今後正式に被害届を出す予定。掘られた場所付近の地下に埋葬された人が入れられた石室があるとみられている。古墳は、周囲の生け垣に沿って柵をつけて立ち入り禁止としていた。
- 墳丘の盛土部分のき損(掘削)
- 墳頂中央部 直径約90㎝、深さ約250㎝ の円形
- 墳頂東側 縦約120㎝、横約60㎝、深さ約190㎝ の長方形
指定
- 1938年(昭和13年) 国指定史跡(埼玉古墳群)
アクセス等
- 名称:二子山古墳
- 所在地:埼玉県行田市埼玉4834
- 交通: JR行田駅から市内循環バスで埼玉古墳公園前停留所下車
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
- 埼玉県立さきたま資料館(1987)『二子山古墳』埼玉県教育委員会
- 埼玉県立さきたま資料館(1992)『二子山古墳 瓦塚古墳』埼玉県教育委員会
- なぜ掘った…古墳に大穴 「後円部」に2カ所,埼玉新聞、2023年1月28日
山王塚古墳 ― 2023年05月22日 23:17
山王塚古墳(さんのうづかこふん)は、埼玉県川越市に位置する7世紀の上円下方墳である。
概要
川越市大東地区、入間川右岸の台地上にある上円下方墳である。上円下方墳は古墳時代終末期の7世紀後半から8世紀初めに築造された首長墓である。 上円下方墳は珍しく、発掘調査により墳形が確認されたものは全国でも6例だけである。 下方部一辺63メートル、上円部径47メートル、高さ5メートルであり、上円下方墳の中でも最大の規模となる。南大塚古墳群のひとつである。上円下方墳は関東を中心に分布する。
調査
川越市は平成24年度から山王塚古墳の発掘調査を実施している。平成24年度の墳形確認調査、平成27年度の周溝確認調査に続く第3次調査では周溝補足調査、埋葬施設確認調査のため、山王塚古墳に5本のトレンチ(試掘坑)を入れた。下方部南側に設けた9・10・13号トレンチでは、下方部を巡る上幅約15メートル、深さ約50センチメートルの周溝が検出された。周溝は南側で途切れ、ロームを掘り残したブリッジ(陸橋)部となる。また、周溝から下方部下にかけて墳丘構築土であるロームの採掘坑が確認された。 第一次調査では幅9mの周溝を発見し、地表面から2.3mの高さで周溝底部を検出した。第二次調査の報告では、東側の周溝が狭いと指摘されている。第五次調査では古墳の北東隅の範囲が確認された。平成26年、地中レーダー探査により、山王社参道付近の地中の主体部は複室構造の横穴式石室と推定された。
遺構
遺物
指定
- 1948年3月6日、川越市指定文化財(史跡)に指定された。
- 2022年12月16日、文化審議会(佐藤信会長)は国内最大の上円下方墳の山王塚古墳(埼玉県川越市)を新たに史跡に指定するよう、文部科学相に答申した。
上円下方墳
- カラト古墳 - 7世紀末~8世紀初頭
- 清水柳北1号墳 - 8世紀初頭
- 野地久保古墳 - 8世紀初頭
- 府中熊野神社古墳 - 7世紀後
- 天文台構内古墳 - 7世紀後半
アクセス
- 名称:山王塚古墳
- 所在地: 埼玉県川越市川越市大塚1丁目・豊田町3丁目
- 交 通: 西武鉄道南大塚駅から徒歩20分。JR・東武川越駅から徒歩30分
参考文献
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
- 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社
- 川越市教育委員会(2019)『山王塚古墳 総括報告書』
- 山王塚古墳、国史跡に時事通信社,2022年12月16日
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