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総社愛宕山古墳2023年05月22日 23:11

総社愛宕山古墳(そうじゃあたごやまこふん)は群馬県前橋市に所在する7世紀前半の方墳である。「愛宕山古墳」、「総社町10号古墳」とも呼ばれるが、同名の古墳は多数あるため、地名で区別している。

概要

榛名山から東南方向に広がる裾野の末端に位置し、現利根川の西岸南北4kmに位置する。 周濠がある。石室は墳丘の南側に開口する。家形石棺が置かれる。墳丘に埴輪は立てられていなかった。周濠は約18m、葺石あり、埴輪列なし。 7世紀初頭を最後にして、前方後円墳の築造は全国で停止された。7世紀の群馬県では前橋愛宕山古墳と宝塔山古墳などの大型方墳が作られた。全国的に造営停止されたことは、ヤマト政権から何らかの指令があった可能性がある。

調査

昭和27.7.3から昭和27.7.4調査。平成7.9.1から平成7.12.22 学校建設による調査。令和3年度に調査した。葺石は大きな河原石を並べている、3段築成と判明した。墳丘部は未調査。

規模

  • 1辺約56m 方墳
  • 高さ約8.5m

遺構

埋葬施設は南東方向に開口する両袖型の横穴式石室。安山岩の巨石を用いて構築される。 石室の規模は次の通り。

  • 全長約9.3m、
  • 玄室部長6.91m
  • 幅2.94m
  • 高さ2.91m

遺物 

副葬品等は見つかっていない。下記が出土。

築造時期

7世紀前半

被葬者

5世紀後半から7世紀後半にかけて当地を治めた豪族。 「上毛上野古墓記」(1810年)によれば、愛宕山古墳を豊城入彦命、宝塔山古墳を彦狭島王、蛇穴山古墳を御諸別命とし、総社二子山古墳を豊城入彦命の副葬品を納めたものとしていた

指定

指定されていない理由は、石室の入り口付近に一般人の墓があり、この墓の家の方は遠方に引っ越したが、連絡がつかず、移動してもらうことも、また勝手に移動することもできないため、整備や史跡指定ができない。

アクセス等

  • 名称:総社愛宕山古墳
  • 所在地:群馬県前橋市総社町総社1763
  • 交通: JR上越線「群馬総社駅」から徒歩10分

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  3. 群馬県教育委員会(2018)『群馬県古墳総覧』群馬県教育委員会; 第2版

姉崎二子塚古墳2023年05月22日 23:12

姉崎二子塚古墳(あねざきふたごづかこふん)は千葉県市原市にある前方後円墳である。 上総の代表的な前方後円墳である。

概要

姉崎古墳群の代表滞な古墳である。内房線姉崎駅の東北約1kmの養老川河口近くの沖積地標高5m前後の砂丘上に位置する。墳丘周囲に盾形周溝が巡る。木棺直葬と見られる。

調査

  • 1947年に國學院大學考古学会、大場磐雄らが調査。上下二段の円筒埴輪列が確認された。
  • 2005年度(平成17年度)、民家建設に伴う周溝確認調査[7]。
  • 2006年度(平成18年度)、周溝範囲の確認調査[2]。
  • 2014年度(平成26年度)、民家建設に伴う周溝確認調査

主体部

    • ①木棺直葬
    • ②木棺直葬

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 103m
  • 後円部 径50m 高9.5m
  • 前方部 幅52m 長48m 高8.5m *遺構

出土品

  • 【鏡】中国:①蟠?文鏡1、ボウ製:①変形文鏡1・四神十二支鏡1。
  • 【玉類】硬玉:①勾玉7、滑石:①大形勾玉1・管玉4、メノウ:②勾玉1、①小玉300余。-【装身具】耳飾類:②銀製垂耳飾(腰佩として報告)、その他装身具:①金銅製魚鱗文金具(魚佩か)。
  • 【石製模造品】農工具:①刀子(破片とも)5、その他:①有孔円板・臼玉 3。
  • 【武器・刀剣類】鉄刀:①破片 2②2、鉄鉾:①1②2。
  • 【武器・鏃】長頸鏃:②広身・細身、その他の鉄鏃:②長柳葉。【武具】革綴短甲:①破片②横矧板革綴1、衝角付冑:①鉄地金銅製小札鋲留(地板2段構成)、①挂甲小札片②挂甲小札片・頸甲片・肩甲片。
  • 【馬具】②轡(銜・引手)。
  • 【その他】①立花4・(伝)石枕②石枕1(高縁3段・直孤文陰刻)・立花2。

築造時期

、古墳時代中期の5世紀前半-中頃と推定

指定

  • 1968年(昭和43年)4月9日 指定 史跡 -

重要文化財

  • 1974年(昭和49年)6月8日指定、 石枕(立花二箇共)- 國學院大學保管。

アクセス等

  • 所在地:千葉県 市原市 姉崎字二夕子1762
  • 交通: JR内房線姉ヶ崎駅から徒歩約30分

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房

埼玉古墳群2023年05月22日 23:14

埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)は埼玉県行田市にある古墳群である。

概要

5世紀後半から7世紀中頃にかけて、大宮台地の北端に築かれた、前方後円墳8基、大型円墳2基、方墳1基、小円墳群で構成される古墳群である。利根川と元荒川に囲まれた標高17~18mの沖積地に立地する。 前方後円墳の形態に強い規格性があるのが特徴である。大和の天皇陵クラスの大古墳にしか見られない二重周濠が前方後円墳にある。 約30haの古墳公園内に、国宝「稲荷山古墳金錯銘鉄剣」などが展示されている「県立さきたま史跡の博物館」がある。

古墳群の構成

指定

2020(令和2)年3月10日に、埼玉県内では初の国の特別史跡に指定された。

アクセス

  • 名称:埼玉古墳群
  • 所在地:〒361-0025  埼玉県行田市埼玉4834
  • 交通:JR高崎線行田駅から15分( 観光拠点循環コース(左回り)15分・(右回り)37分「埼玉古墳公園前」下車 徒歩約2分)

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
  2. 斎藤忠・大塚初重(1980)『稲荷山古墳と埼玉古墳群』三一書房

二子山古墳2023年05月22日 23:14

二子山古墳(ふたごやまこふん)は埼玉県行田市にある古代の前方後円墳である。

概要

埼玉県では最大規模の古墳である。方形の二重周濠をもつ。墳 2つのなだらかな山が連結したような形状が名の由来である。堀に挟まれた中堤は遊歩道となる。 東側裾に観音寺があったことから「観音山」とも言われる。 『五街道分間延絵図(1806)』の「館林道」に観音寺に隣接する「水塚」があり、これが二子山を指すと思われる。 『北部八志(1907)』に、「両子山 又観音寺山とも云う、高さ五丈周圍七八町、是は唯に本村の巳ならず殆んど本國中の 大塚にして之を望むに天然の丘陵の如く車塚の制にして前方公圓壇三也儼然として其形存せり」と書かれる。 堀は「空堀」であったが1968年(昭和43年)の内堀修復工事により「水堀」として整備された。 しかし、その後墳丘の崩落などが続いたため、埋め立てられた。 墳形は稲荷山古墳、鉄砲山古墳と同様に大阪の大仙古墳(仁徳天皇陵)に類似している。稲荷山古墳の1.15倍の相似形である。

調査

昭和42年度から59年度まで4回の調査が行われている。西側中堤外堀側に方形の造り出しが存在する。 トレンチ調査により中堤造り出しと外方を結ぶブリッジを検出した。 昭和42年度調査では、堀状の遺構を確認し、西側くびれ部に造り出しを確認した。埴輪片、須恵器片が出土した。 内堀の底部分で大量の埴輪片が出土した。造り出しの平面は台形であった。埋葬施設は発掘調査されておらず、詳細は不明。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 138m
  • 後円部 径70m 高13m
  • 前方部 幅90m 長68m 高14.9m

被葬者

発掘は未調査で不明であるが、後円部墳頂に直径8m、深さ50cmの陥没穴があり、盗掘を受けた可能性がある。

出土品

埴輪は川西編年のⅤ期に相当する。

  • 円筒埴輪 - 朝顔形Ⅴ式
  • 形象埴輪 – 馬形埴輪、不明形象埴輪、靱、蓋、楯、馬、水鳥
  • 人物埴輪 - 男子、女子
  • 土師器
  • 須恵器 - 器台、壺、甕、堤瓶

築造時期

6世紀の前半と想定される。

棄損被害

古墳を保護するため、墳丘部への立入を禁止しているが、令和5年1月26日(木曜日)に県立さきたま史跡の博物館学芸員が、同古墳の状態を確認するため、墳丘に登った際に古墳の棄損を発見した。墳丘盛土の掘削以外には被害は確認されていない。史跡のき損は文化財保護法に違反する犯罪行為であるため、令和51月26日に警察に通報した。今後正式に被害届を出す予定。掘られた場所付近の地下に埋葬された人が入れられた石室があるとみられている。古墳は、周囲の生け垣に沿って柵をつけて立ち入り禁止としていた。

  • 墳丘の盛土部分のき損(掘削)
    • 墳頂中央部 直径約90㎝、深さ約250㎝ の円形
    • 墳頂東側 縦約120㎝、横約60㎝、深さ約190㎝ の長方形

指定

  • 1938年(昭和13年) 国指定史跡(埼玉古墳群)

アクセス等

  • 名称:二子山古墳
  • 所在地:埼玉県行田市埼玉4834
  • 交通: JR行田駅から市内循環バスで埼玉古墳公園前停留所下車

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
  2. 埼玉県立さきたま資料館(1987)『二子山古墳』埼玉県教育委員会
  3. 埼玉県立さきたま資料館(1992)『二子山古墳 瓦塚古墳』埼玉県教育委員会
  4. なぜ掘った…古墳に大穴 「後円部」に2カ所,埼玉新聞、2023年1月28日

将軍山古墳2023年05月22日 23:18

騎乗人物/将軍山古墳/

将軍山古墳(しょうぐんやまこふん)は埼玉県行田市に所在する前方後円墳である。

概要

埼玉県下で8番目の規模の前方後円墳である。国内で3例しかない馬冑が出土したことで知られる。戦前までは将軍塚と呼ばれていた。1894年、下忍村(現・行田市下忍)の増田五左衛門が自宅の庭に石を運ぼうとして発掘した。内裏塚古墳群(千葉県富津市)の稲荷山古墳に形状が類似する。増田五左衛門が庭石に考えた石は、実は金谷で産する房州石であった。 後円部西側前方部寄り、中堤西側に造出あり。周濠はほぼ長方形で2重。

構成

主円丘部が三段築成の造り出し付き円墳である。墳丘周囲に檀状部東南側が耳輪状の堀を二重に巡らせ、その間に中堤がある。

遺構

外構

  • 円筒埴輪 円筒Ⅴ式
  • 形象埴輪 靫、楯、大刀、鞆、あり、馬、男子、女子、楯持人、

規模

  • 墳長 90m
  • 後円部 径復元39m 高5m
  • 前方部 幅68m 長55m 高8.2m

築造時期

6世紀後半。

出土品

  • 乳文鏡
  • ガラス小玉
  • ガラス玉847以上
  • 耳環 1
  • 金銅環頭大刀片・銀装大刀片2
  • 大刀片、
  • 鉄鉾5
  • 鉄鏃残片。
  • 衝角付冑:横矧板鋲留衝角付冑残片、
  • 挂甲小札。
  • 素環鏡板付轡・
  • 金銅鏡板付轡
  • 金銅半球型辻金具 9
  • 金銅棘葉形杏葉 8
  • 金銅鈴片
  • 金銅舌鈴3
  • 八角稜ナス形銅鈴4
  • 鉄地金銅磯金具片・
  • 鉄製輪鐙1対
  • 蛇行状鉄器 2
  • 馬冑
  • 金銅鉸具・鉄製鉸具
  • 金銅袋状飾金具3・金銅鞍金具
  • 須恵器無蓋高杯
  • 石製盤・銅鋺2
  • 高台付有蓋銅鋺

被葬者

展示館

  • 将軍山古墳展示館
  • 展示:石室の内部、馬冑、被葬者や副葬品など再現
  • 開館:9:00~16:30 入館は16:00まで
  • 休館日:月曜日、年末年始

アクセス等

  • 名称:将軍山古墳
  • 所在地:埼玉県行田市大字埼玉4834
  • 交通: JR吹上駅から朝日バス佐間経由行田車庫行きで15分/ JR高崎線行田駅から15分( 観光拠点循環コース(左回り)15分・(右回り)37分「埼玉古墳公園前」下車 徒歩約2分)

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版

鉄砲山古墳2023年05月22日 23:18

鉄砲山古墳(てっぽうやまこふん)は埼玉県行田市に所在する前方後円墳である。

概要

埼玉古墳群の中で3番目の大きさの前方後円墳である。「鉄砲山」の名前は、北側のくびれ部分に江幕末に角場と呼ばれる忍藩の砲術演習所があったことに由来する。1842年(天保13年)、忍藩主・松平忠國は、江戸湾房総側の防備を命ぜられ、富津と竹ヶ岡に陣屋を築き、900名の将兵を配備し、古墳の一角に砲術演習所を設けた。古墳の西側の一部に三重目の濠)が確認されており、周濠を含めた全長は163メートルと推定される。全国でも三重の濠は稀である。後円部に南に開口する横穴式石室があるが未調査である。

構成

遺構

南に開口する横穴式石室が存在する。石室本体の発掘調査は行われておらず、未盗掘か否かは不明である。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 109m
  • 後円部 径55m 高9m
  • 前方部 幅69m 長54m 高10.1m

築造時期

6世紀後半の築造

出土品

被葬者

アクセス等

  • 名称:鉄砲山古墳
  • 所在地:埼玉県行田市大字埼玉4834
  • 交通: JR吹上駅から朝日バス佐間経由行田車庫行きで15分/ JR高崎線行田駅から15分( 観光拠点循環コース(左回り)15分・(右回り)37分「埼玉古墳公園前」下車 徒歩約2分)

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版

瓦塚古墳2023年05月22日 23:19

瓦塚古墳(かわらづかこふん)は埼玉県行田市にある古代の前方後円墳である。

概要

くびれ部前方部右側に近い部分に造出あり。周濠は方形の2重周濠。造出北西に外濠をまたぐ陸橋が発見されている。瓦塚古墳には多くの埴輪が並べられていた。整備に伴う発掘調査により、墳丘や中堤に様々な種類の埴輪が並んでいたことが判明した。土管のような形の円筒埴輪のほか、家形や水鳥、盾、人物を模した埴輪が出土している。人物は琴を弾く男子や馬を引く男子、首飾りを付けた女子など様々で、当時の服装や髪形、祭りの様子が分かる。 古墳群中では6番目の大きさの中型前方後円墳である。明治時代の初期、付近に瓦工が住んでいたことから、この名がつく。

調査

昭和54年度に瓦塚古墳の南側を調査。内堀と外堀の溝を検出。昭和57年度は墳丘西側、側面周濠を調査した。家形埴輪破片、男子人物埴輪、女子人物埴輪、鉄器が出土する。内堀は底面で幅3.3mから、3.7mを測る。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 75m
  • 後円部 径38m 高5.1m
  • 前方部 幅47m 長37m 高4.9m*外表施設

出土品

  • 円筒埴輪 - 円筒Ⅴ式
  • 形象埴輪
    • 盾形埴輪、
    • 武人埴輪、
    • 弾琴男子埴輪
    • 首飾りを付けた女子埴輪
    • 馬を引く男子埴輪
    • 家形埴輪 寄棟造

築造時期

  • 1938年(昭和13年) 国指定史跡(埼玉古墳群)

弾琴男子埴輪

琴を弾く男子像は全国で30例ほどあるといわれる。全体の形状が判明しているのは10例と言われる。

アクセス等

  • 名称:瓦塚古墳
  • 所在地:埼玉県行田市埼玉4834
  • 交通: JR行田駅から市内循環バスで埼玉古墳公園前停留所下車

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
  2. 埼玉県教育委員会(1986)『瓦塚古墳 埼玉古墳群発掘調査報告書第4集』