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藤ノ木古墳2023年05月23日 21:12

'藤ノ木古墳''(ふじのきこふん)は奈良県生駒郡斑鳩町にある6世紀の円墳である。

概要

直径48m、高さ9mの大型円墳である。1985年(昭和60年)、1988年(昭和63年)以来6度の発掘調査が行われた。出土品は重要文化財に指定され、現在は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で見ることが出来る。6世紀後半の埋葬儀礼を解明するうえにおいて貴重な資料となっている。

調査

斑鳩町教育委員会が町のベッドタウン化を心配し、1985年に樫原考古学研究所の協力のもと、調査を行った。飛鳥時代の馬具や王冠がほぼ完全な形でみつかり、飛鳥時代を知る重要な手がかりとなっている。

遺構

  • 横穴式石室、両袖式(南東に開口する)、全長:14.2m
  • 羨道 - 長さ:8.06m、幅:1.78m、高さ:2.5m
  • 石棺 石棺は天皇家や有力皇族に用いられる家形石棺であった。大阪府と奈良県の境に位置する二上山で産出する白色凝灰岩を使用した刳抜式家形石棺で、棺の内外面に朱が塗られていた。棺身の最大長は235cm、最大幅139cm、最大高152cmで、頭側である東側が幅広く作られていた。蓋の長辺には左右各2個の縄掛突起が作り付けられる。
  • 玄室
    • 長さ:6.14m、幅:2.73m、高さ:4.32m
    • 石室の壁面の石材はほぼ垂直に積み上げられ、天井は高い。
    • 玄室奥壁に近接して奥壁と並行する形で、全面に朱が塗布された家形石棺が安置されていた。

遺物

1回目の発掘調査では全長14mの横穴式石室がみつかった。石室内は未盗掘であった。 石棺と奥壁の間の80cmのところに3組の金銅装の馬具、騎馬用馬具の挂甲、鉄製の農具のひな型品など3000点が盗掘を受けない完全な形で見つかった。中でも鳳凰や獅子、龍、怪鳥、獅子をあしらった高度な技術の透かし彫りのある金銅製鞍金具がみつかっている。分析の結果、日本製と判明した。石室の全長13.95m、玄室長6.0m、同幅2.3m、同高4.4mを計測する。玄室床面には一面礫が敷き詰められていた。床面の下には排水のための石組溝があり、羨道から閉塞石の下を潜り石室外へと延び、排水路が設置された。 そのほか武器・武具、装身具として金属製の玉類や1万数千点を超えるガラス玉などの装身具、冠・履・大帯などの金属製品、四面の銅鏡、玉纏大刀、剣が出土した。5振の太刀は最長138cmで、伊勢の皇大神宮の式年遷宮で使われる玉纒の太刀を彷彿とさせる。後期古墳には珍しい銅鏡が4面副葬される。

馬具

馬具は3セット分が確認された。豪華な馬具は、金銅製金具を用いた棘葉形杏葉、心葉形鏡板付轡、円形飾金具、歩揺付尻繋飾金具、龍文飾金具、鞍、障泥、壺鐙などである。装飾性豊かな馬具類は、鞍金具にパルメット、鳳凰、象、鬼面などの姿の透彫りをほどこしている。鞍金具は、当時の東アジアにおいても類をみない技巧と装飾を凝らした超一級品である。

土器

玄室内の袖部付近からは、須恵器土師器が出土した。

金銅製冠

頭にまく帯部は二山をなす広いタイプで、そこに2枚の立飾りからなる金銅製の冠である。頭の周囲を巻く鉢巻状の帯・「冠帯」と、それに取り付ける「立ち飾り」とで構成される。製作当時は全体が金色に輝き、取り付けられた歩揺の輝きと薄い金属の触れる音色、宝石製の勾玉などの装飾が付けられていた。「広帯二山式」 は, 日本だけにある冠の形とされる。 アフガニスタンのティラ・テペ出土の金冠は, 藤ノ木古墳の冠と類似の樹木の立飾りがみられる。歩揺がある金銅製冠は新羅(皇南大塚北墳金冠垂飾、新羅5世紀後半)にもみられるが、形が異なる。 昭和63年6月6日、国宝指定。追加 平成3年6月21日。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵。

被葬者

被葬者は2人であった。北側に17~25歳の男性、南側は年齢を特定できないが、男性の可能性が高いといわれる。被葬者の手掛かりは少ない。江戸時代には崇峻天皇といわれ、地元に伝説も残る。方墳に移る時期の円墳であること、斑鳩は蘇我氏の墓域であること、2名同時の埋葬から、前園実知雄や白石太一郎は穴穂部皇子と宅部皇子を提唱している。玉城一枝は「藤ノ木古墳男女合葬説」を唱えた。そのほか紀氏、平群氏、膳氏説が提唱されている。

指定

  • 1991年(平成3年)11月16日 - 国史跡指定
  • 2003年(平成15年) 国の名勝に指定。
  • 2004年6月8日(平成16.06.08) - 出土品は国宝となる。

所在地等

春季と秋季に2日間、石室内部の特別公開がある。

築造

6世紀後半の築造と推定されている。

アクセス等

  • 名称: 藤ノ木古墳
  • 年代:6世紀
  • 所在地: 〒636-0114 [奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2-1795
  • 交通: JR奈良駅 から奈良交通 [98] 法隆寺前(奈良県)行「斑鳩町役場」下車

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 奈良県立橿原考古学研究所(1995)『斑鳩 藤ノ木古墳 第2・3次調査報告』斑鳩町教育委員会

鶯塚古墳2023年05月23日 21:13

鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)は奈良県奈良市にある前方後円墳である。

概要

若草山三重目の頂上にある古墳である。軸はほぼ南北方向である、全長103m、前方部幅50m、円部直径61mの規模である。段築造の墳丘に葺石埴輪がある。前方部西南隅から石製の斧や内行花文鏡滑石製の斧が出土した。山頂の古墳は珍しい。後円部の頂上には1733年(享保18年)に建てられた「鶯陵」石碑がある。古墳の周辺に陪塚と考えられる円墳や方墳が3基確認された。若草山の山頂に三角点(341.8 m)

4世紀末~5世紀初頭の築造とされる。

指定

  • 1936年(昭和11年)9月3日 国指定史跡である。 埋葬者は不明。

『枕草子』に登場する「鶯陵」とも言われる。

規模

  • 墳丘長:107m
  • 高さ:9m(後円部)
  • 後円部直径:61m

アクセス

  • 所在地:〒630-8211 奈良県奈良市雑司町
  • 交通:近畿日本鉄道奈良線近鉄奈良駅から徒歩約30分。

参考文献

佐紀陵山古墳2023年05月23日 21:14

佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)は奈良県奈良市山陵町にある佐紀盾列古墳群の西群に属する全長207メートルの古墳である。

概要

佐紀盾列古墳群は、奈良盆地東南部の大和古墳群、大阪平野の古市古墳群、百舌鳥古墳群と並ぶ大古墳群である。佐紀陵山古墳はそのひとつで、3段築成葺石埴輪を備える。全長207m、後円部径131m、高さ19m、前方部幅87m。高さ12m。 後円部は隣接する佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)のくびれ部にくい込んでおり、 成務天皇陵の東側の濠は極端に狭くなっている。佐紀陵山古墳が先に築造された事を示す。

調査

大正時代の1916年に佐紀盾列古墳群]で盗掘事件が発生し、数人が現行犯で逮捕された。各地の古墳を荒らし回っていた盗掘団の存在が明るみとなり、大量の盗掘品が警察によって押収された。宮内省はただちに乱掘によって荒らされた古墳の復旧工事を実施した。回収された副葬品は写真や拓本などの記録をとり、寒天で型取りして石膏を流し込んだ模造品を作成し、原品は石室に戻された。復旧工事記録は大部分が関東大震災で焼失してしまったが、京都大学考古学教室の梅原末治博士の手元にその写しが保管されていた。盗掘時の報告書があり、埋葬施設の概略図、副葬品の石膏模造品や写真が残る。 2009年2月20日に日本考古学協会など考古・歴史系15学会の代表者らにより、墳丘最下段部を約2時間かけて調査(観察)された。茂木雅博日本考古学協会陵墓担当理事は「墳丘裾部分は後の時代に改変されている可能性があり、全長は200mを切るかもしれない」と再測量の必要性を指摘した。高木博志京都大学準教授は「この古墳は江戸時代まで、地元では神功皇后陵とされ、後円部墳頂に安産祈願の神社があったようで、今回、神社への参道や、妊婦の腰に当てたという白い石も確認出来た」と報告する。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:3段、後円部:3段
  • 墳長 207m
  • 後円部 径131m 高19(墳頂平坦面では16)
  • 前方部 幅87m 長85m 高12m

外表施設

  • 円筒埴輪 円筒Ⅱ式(ひれ付含む)
  • 形象埴輪 楯、衣蓋、家、
  • 葺石 あり
  • 【周濠】楯形、全周。
  • 【周堤】あり(幅8~10mの外堤)-

内部構造

工事記録によると後円部墳頂には円筒埴輪列を巡らせた方形の壇があり、その内部に竪穴式石室がある。竪穴式石室は内法の長さ8.55㍍、幅1.09メートルという大規模なものであった。石室の両側壁は板石を小口積みにしているが、両小口の壁は大きな一枚の板石を立てている。板石は高さ、幅とも約2m、厚さ30cmに切りそろえ、中央やや上に四角い孔を上下に2個並べてあけている。天井石は5枚からなり、これらもきれいに切りそろえた切石である。石室の天井面となる下面には一枚ごとに深さ5センチほどの内刳りを施し、両側面には縄掛突起をつくり出している。さらに、これらの構造全体が、大きな切石の底石の上に構築されている。全体としてかなり複雑な構造となっている。

遺物

現在知られている副葬品は大正以前の盗掘による被害も考慮すると、元の品目のごく一部であろうが、それでも銅鏡5~6面、石製腕飾類7個、刀子形・斧形・高杯形・椅子形の石製模造品7個、琴柱形石製品2個、管玉、石製合子、石製臼各1個があった。変形方格規矩鏡3面はそれぞれ流雲文、唐草文、直弧文で外区を飾り、いずれも面径が30cmを超える大型仿製鏡である。復旧工事で出土した蓋形埴輪は高さ約1.5cm、差し渡し約2cmの巨大なもので、橿原考古学研究所附属博物館に模造品が展示される。

  • 【鏡】ボウ製:内行八花文鏡1、方格規矩獣文鏡2、不明:四獣形鏡?1。
  • 【玉類】碧玉:碧玉管玉1。
  • 【装身具】石製腕飾類:車輪石3、鍬形石3、石釧1。
  • 【石製模造品】琴柱形:2、農工具:刀子3、斧1、器財:高杯2、合子1、椅子1、その他:臼1、貝殻形1、不明2。

埴輪

『日本書紀』によれば、垂仁天皇は皇后の死去にあたり、殉死の風習をやめさせるため、初めて埴輪を用いたとされる。石室の直上に衣笠形埴輪、盾形埴輪、家形埴輪が出土した。いずれも高さ1.5m、幅2mの大型埴輪である。

指定

宮内庁により垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命陵に治定される。

所在地等

  • 名称: 佐紀陵山古墳
  • 年代:4世紀末から5世紀前半(古墳時代前期から後期)
  • 所在地:奈良県奈良市山陵町325
  • 交通: 近鉄京都線平城駅下車、徒歩10分。

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社

ウワナベ古墳2023年05月23日 21:15

ウワナベ古墳(うわなべこふん)は奈良県にある5世紀中頃(古墳時代中期中葉)の前方後円墳である。同時期の古墳として東日本最大級の古墳である。

概要

佐紀古墳群の中で「コナベ古墳→ウワナベ古墳→ヒシャゲ古墳の順で築造されたとみられる。前方部を丘陵の先端部にあたる南側に向けている。墳丘は3段築成である。航空自衛隊基地の東側にある。実際の被葬者はあきらかでない。同じ水面でつながる幅の広い周濠が特徴である。 墳丘長は測量図を元にして255mと言われてきたが、最近の調査により大幅に上回る270m~280mとみられている。盾型周濠が周囲をめぐる。前方部南側で周濠幅は60m。西側に造り出しがある。西にコナベ古墳が隣接する。古市古墳群百舌鳥古墳群と共通点が多いため、河内の古墳と密接な関係があると考えられている。

調査

2020年10月から12月にかけて奈良県立橿原考古学研究所と奈良市教育委員会により後円部周濠の調査が行われた。また2020年11月から12月にかけて宮内庁書陵部の墳丘各所の調査が行われた。

  • 奈良県橿原考古学研究所調査(2020年)では、敷石を周濠底から約15cm高位に検出した。 人為的な敷石の可能性も想定している。墳丘端が現況より広がることを確認した。みかけの墳丘裾から9mから10m外側に本来の墳丘端が存在する。 令和2年11月に宮内庁、奈良県立橿原考古学研究所、奈良市教育委員会による発掘調査の結果が発表された。

遺構

遺物

造り出しからは須恵器土師器も小型高杯、鉢、笊型土器、魚形土製品、棒状土製品、杓子形土製品が出土した。奈良県橿原考古学研究所調査で鰭付き円筒埴輪を多く認めた。

規模

  • 全長:270m、
  • 後円部直径:130m
  • 高さ:19.8m
  • 前方部:前端幅160m
  • 前方部高さ:m

指定

展示

アクセス

  • 名称:ウワナベ古墳
  • 所在地: 〒630-8001  奈良県奈良市法華寺町宇和奈辺1823
  • 交通: JR・近鉄 奈良駅 自衛隊行バス「終点」下車 徒歩1分

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社
  3. 奈良市(2021)「ウワナベ古墳の真相に迫る」奈良市民便り,2021年1月
  4. 奈良・ウワナベ古墳の周濠で初の発掘調査へ」産経新聞,2020年9月18日

コナベ古墳2023年05月23日 21:16

コナベ古墳(こなべこふん)は奈良県にある5世紀前半の前方後円墳である。

概要

佐紀古墳群の中で「コナベ古墳→ウワナベ古墳→ヒシャゲ古墳」の順で築造されたとみられる。周濠を巡らせることは、ウワナベ古墳と同様である。古墳時代中期の代表的な古墳である。実際の被葬者はあきらかでない。 墳丘斜面は葺石で覆われている。 前方部を丘陵の先端部にあたる南側に向けている。墳丘は後円部、前方部とも3段築成である。外堤に埴輪列が並ぶ。くびれ部の南側の前方部に長方形の造り出しが両側に作られる。 墳丘の形状は誉田御廟山古墳や市庭 古墳と相似形である。江戸時代までは近くの法華寺の所領であったが、明治以降陵墓参考地となり、現在は宮内庁が管理している。円墳1基と方墳9基の陪冢がある。

調査

陵墓参考地であるため、正式の発掘調査はされていない。宮内庁書陵部は2009年12月4日、円筒埴輪列や二重の葺石を確認した。 昭和54年度の奈良市教育委員会によるコナベ古墳の調査では、円筒形埴輪壺型土器、壺型埴輪が出土した(;奈良市教育委員会(1980))。 平成16年11月24日から12月22日にかけて奈良市教育委員会によるコナベ古墳の第五次調査が行われた。発掘区は外堤の内側である。平面楕円形の土坑を発見した。周濠から円筒埴輪片(5世紀前半)、須恵器高坏片(6世紀)、奈良時代の土師器皿片、須恵器皿片、丸瓦片、平瓦片が出土した(埋蔵文化財調査センター (2007))。

遺構

遺物

現在、横浜市の三渓園にある長持型石棺は元は法華寺東方で出土したものと言われており、コナベ古墳か平塚古墳の石棺ではないかと言われている(土生田(1987))。

規模

  • 全長:204m、
  • 後円部直径:125m
  • 後円部高さ:20m
  • 前方部:前端幅135m
  • 前方部高さ:m

指定

展示

アクセス

  • 名称:コナベ古墳
  • 所在地: 〒630-8001  奈良県奈良市法華寺町宇和奈辺1804
  • 交通: JR・近鉄 奈良駅から奈良交通バス 自衛隊行「終点」下車 徒歩1分

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社
  3. 土生田純之(1987)「横浜市三渓園所在の石棺」(橫田健一先生古稀記念会『横田健一先生古稀記念文化史論叢』(上))
  4. 埋蔵文化財調査センター (2007)「奈良市埋蔵文化財調査概要報告書 平成16年」奈良市教育委員会
  5. 奈良市教育委員会(1980) 「奈良市埋蔵文化財調査概要報告書 昭和54年度」
  6. アジア航測(2010)「当社の航空レーザ計測技術を用いた古墳測量に関する研究成果

高松塚古墳2023年05月23日 21:17

高松塚古墳(たかまつづかこふん, Takamatsuzuka Tumulus)は奈良県高市郡明日香村にある円墳である。

概要

文武天皇陵の北東にある小さな円墳である。石室内に壁画が描かれている古墳は国内で、キトラ古墳と高松塚古墳だけである。中国や朝鮮の同時代の古墳では、石室内に壁画が描かれている例が多いが、日本では墓に絵を描く風習はないため、高松塚古墳とキトラ古墳の被葬者は日本人ではない可能性が高いと推定される。女子群像の服装は、高句麗古墳の愁撫塚や舞踊塚の壁画の婦人像の服装と似るとされている。

出土

1962(昭和37)年頃、明日香村檜前の村人がショウガを貯蔵するため直径約60cmの穴を掘ったところ、穴の奥に擬灰岩の四角い切石が見つかった。1970年(昭和45年)に古墳近くに遊歩道を設置するための調査が必要となり、奈良県立橿原考古学研究所に発掘調査を依頼した。1972年3月に極彩色の壁画が発見された。戦後最大の発見として大きな注目を集める。石槨内部には古代中国道教の影響を受け、東壁には青龍と日像、西壁には白虎と月像、北壁には玄武、東西の両脇には人物像(4人ずつ計16人の男女の群像)、天井には星宿図が描かれている。すでに盗掘されていた石槨から,海獣葡萄鏡や刀剣金具をはじめ人骨がも出土した。

出土

  • 海獣葡萄鏡 – 702年に32年ぶりに再開された遣唐使が帰国時に街帰った可能性が高いと言われる。直径16.8cm
  • 青色ガラス製栗玉 – 直径3mm、総数936個
  • ガラス製丸玉 6箇
  • 琥珀製丸玉 2箇
  • 金銅製透飾金具 – 直径10.8cm

築造時期

2005年の発掘調査により、藤原京期694年 - 710年の間だと確定された。

被葬者

定説はない。被葬者は7~8世紀の皇子とみられる身長163cm前後の45歳から63歳の男性とされる。忍壁皇子説(直木孝次郎)、高市皇子説(;原田大六)、石上麻呂説(;岡本健一)、百済王禅光説(千田稔)などがある。

  • 棺 棺は、わずかに残存していた残片があり、漆塗り木棺とされた。

指定

  • 1973年4月23日、特別史跡
  • 1974年4月17日、極彩色壁画は国宝に指定 壁画4面

アクセス等

  • 名称 高松塚古墳
  • 形式:円墳
  • 被葬者: 忍壁皇子説、高市皇子説、石上麻呂説、百済王禅光説
  • 築造時期:694年~710年
  • 直径: 下段18m 上段23m
  • 高さ:5メートル
  • 入場料:大人:300円、学生:130円(大学・高校)、小人: 70円(中学・小学)
  • 所在地:〒634-0144 奈良県高市郡明日香村平田
  • 交通:近鉄飛鳥駅 徒歩15分

高松塚壁画館

壁画発見当時の精密な壁画模写「現状模写」をはじめ、剥落や汚れを加減した模写「一部復元模写」、さらに凝灰岩に漆喰を塗り再現した「再現模造模写」、棺を納めていた石槨を復元した「石槨模型」のほか、副葬されていた太刀装飾金具、木棺金具、海獣葡萄鏡などの「副葬品レプリカ」を展示 隣接する高松塚壁画館で、精巧な模写や石槨の模型が展示される。

  • 開館日:年中無休(12月29日~1月3日まで休)
  • 開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社

牽牛子塚古墳2023年05月23日 21:18

牽牛子塚古墳(けんごしづかこふんん)は、奈良県明日香村にある7世紀後半の八角形墳である。「御前塚」、「あさがお塚」、「けごしづか」ともいう。飛鳥時代の代表的な終末期古墳である。

概要

岩屋山古墳に西500mにある直径30m、高さ3.8m(推定5m)の八角形墳である。以前は円墳とみられていた。三段築成の古墳である。規模は普通であるが、石室の構造が特殊であることで知られる。 被葬者は斉明天皇(皇極天皇)と娘の間人皇女(孝徳天皇の皇后)の合葬墓とする説がある。 奈良県明日香村の発掘調査報告書では7世紀の天皇の墓に特徴的な対辺約22mの八角形墳とされる。築造年代については石槨橋造などから7世紀後半頃と考えられている。

調査

2009年9月から2010年9月にかけて、明日香村教育委員会による学術目的の発掘調査がおこなわれた。高さは約4.5メートルと推定され、版築による三段築成の八角墳であることが判明した。

構造

玄室入口の羨道は1.41m、高さ1.01m、長さ0.63m、玄室は長さ2.75m、奥幅2.8m、前幅2.72m。奥壁から出ている壁長1.55m、前幅0.45m、奥幅0.5m。左室は長さ2.1m、幅1.14m、棺台長さ1.95m、幅0.78m、高さ0.08m。右室は長さ2.08m、幅1.16m、棺台長さ1.96m、幅0.78m。石室入口部分は載石の護石が2段に積まれる。床面には長さ約1.95m、幅約80cmの棺台が削り出されている。天井部はドーム状となっている。約20km離れた二上山から20トンの巨大な凝灰岩をくり抜いて石室が作られる。全体の石の重量は550トンに及ぶ。埋葬施設は二上山の凝灰角礫岩の巨石を刳り貫いた横口式石槨で中央に間仕切り壁を有する。両側には長さ約2mの墓室があり、壁面には漆喰が塗布されている。墳丘斜面には7200個の切り石で装飾される。 天上部は丸みを帯びており高さ1.3mである。玄室前壁部分は陵を面取りする。 墳丘周囲には外側を八角形にかこむ石敷遺構が確認されている。玄室内の壁は漆喰が塗られていた。横口式石槨は、約80トンの重量をもつ巨大な凝灰角礫岩をくりぬいて、約70トンの埋葬施設を作る。石室内の開口部には二重の閉塞石がある。内側の閉塞石は凝灰岩製で4か所に方形の孔が貫通し、表面側では円形の浅い孔が掘られる。飾り金具が装着されていたと考えられる。玄室の周囲には細い溝が巡らされており、部屋の内部にたまる水を排出する設計となっている。石室の入口には板状石が扉として使用されていたと思われる。外扉については安山岩系の石材を用いており、幅2.69m、厚さ約63cm、高さ2.4mあり、現地で斜めに倒れた状態で残っていた。

遺構

形態上は横から遺骸を収める横穴式石室であるが、割石や切石、河原石などを積み上げる通常の石室構造ではなく、1個の巨大な凝灰岩をくり抜いて石室を作る。墳丘裾部に凝灰岩切石が敷き詰められている。一辺(約9メートル)はほぼ完全なかたちで遺存されている。石敷の外側に砂利が敷き詰められ、その部分を含めると全体は32メートルほどの規模になると推定される。玄室および羨道内から出土した遺物の中から、乾漆棺の破片が検出されてい折り玄室内の作り付け棺の床上に、乾漆棺が置かれていたとみられる。乾漆棺は七宝をはめ込んだ、亀甲型の金具や花模様の金銅製の金具で装飾されていたと推定されている。

遺物

大和国高市郡牽牛子塚古墳出土品は、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に所蔵される。夾紵棺・黒色土器・瓦器・羽釜・凝灰岩などがある。臼歯は間人皇女のものという説がある。出土品の多くは排土中から検出された。

  • 金銅製棺金具8点 - 棺飾金具
    • 七宝亀甲形座金具 - わが国最高技術の金工
    • 八花文座金具、
    • 六花文環座金具
    • 円形座金具
    • 綾隅金具
  • 鉄鎹
  • 鉄釘
  • ガラス玉玉類 ? ガラス丸玉、小玉臼玉 220個
  • 人骨(臼歯)- 40歳前後の臼歯。間人皇女と推定。
  • 夾紵棺の破片

指定

  • 1953年(昭和28年)11月14日指定、国の重要文化財
    • 七宝亀甲形金具 1箇
    • 金銅製八花形座金 1箇
    • 銅製金具残片 1箇
    • 乾漆棺残片 一括

一般公開

令和4年3月6日(日)から、一般公開する。石室特別公開、有料エリア有料見学、事前予約制、飛鳥ボランティアガイドによる案内。有料ガイドツアー(有料エリア500円)。

アクセス

  • 名称:牽牛子塚古墳
  • 年代: 7世紀後半頃から8世紀初頭
  • 被葬者:(伝)斉明天皇間人皇女
  • 所在地: 〒634-0138 奈良県高市郡明日香村越131
  • 交 通: 近鉄吉野線・飛鳥駅から徒歩約10分/飛鳥駅より西北西約550メートル

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社
  3. 網干善教(1977)『史跡牽牛子塚古墳』奈良県高市郡明日香村教育委員会